
KEITA FUKAZAWA 深沢慶太 | 『ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠展』 | 「NEWハイプ研究所2」連載第4回
NEWなタイプばかり称揚し、提灯記事で消費を煽り、プロモ期間を終えるや否や、過ぎたるはお呼ばざるが如しなのがメディアの常。
「NEWなタイプは消費の道具じゃない!」ーOLDハイプの欺瞞を糾弾しつつ、自らもまたハイプである葛藤に奥歯を噛む。
魂をメディアに縛られた人々へ。電波、紙に載らない本音の論評をもって我らがリテラシーの革新に挑む、NEWハイプ専用コラム連載。

篠原有司男『前衛の道』表紙
<問> 以下の行為は真剣なのかふざけているのか。答えなさい。
A.「こうなったらやけくそだ!!!!!」
と絶叫し、廃材の竹や材木を針金でメチャクチャに束ね倒した巨大なゴミを美術館に突っ込もうとするも大きすぎて入らず、燃やして小さくしてブチ込んでおいて放置。叫び文句と同題の作品は展示終了後、裏庭のゴミ穴に捨てられた。
B.パンツ一丁、ロール紙を裸体にぐるぐるに巻き付けた異様な姿の仲間と白昼の銀座を練り歩き、観念的な文句を吠えたてつつ、通行人の足もとをのたうち回った。
C.上半身裸、両手に巻き付けた布を墨汁に浸し、自宅裏庭の壁に貼った横長の紙をボクシングの要領でひたすら殴りつける。
<答> どれも完全に真剣です。
ABCみなおしなべて真剣に誠実に「芸術とは何か」を突き詰めた行為である。
時は1960年前後。パンクロックが誕生する遙か以前の東京で、モヒカン刈りの男が1人、”新しい芸術”を体現すべく日々苦吟していた。その名は篠原有司男(しのはら・うしお)。赤瀬川原平、荒川修作らも在籍した伝説の前衛芸術グループ『ネオ・ダダイズム・オルガナイザー』(通称ネオダダ)の中心的人物にして、過激なパフォーマンスを繰り広げた前衛芸術家だった。
やがて月日は流れ、時代は変わり、芸術という言葉の中身も変容してしまった07年。
すでに75歳を迎えた男が何をしていたかというと、

篠原有司男 ニューヨーク、トライベッカ路上でのボクシング・ペインティング公開制作(2006)
Photo: William Farrington
変わらずに『ボクシング・ペインティング』を敢行していた!!!!!!
……と聞いて、銀色の衣装を身にまとって宇宙人を自称するなどし続けて頑迷さを極めているような、単なる露悪狂または電波に類する輩か、と思いこむのは早合点である。
その作品を見れば一目瞭然。そこが篠原有司男の最大のポイントでもあるのだが、彼のそれは”ウケ狙い”にあらず。彼の著書『前衛の道』(1968年刊・2006年復刻/美術出版社)に寄せられた、岡本太郎の言葉「ひたむきなベラボウさ」がずばり言い当てているように、彼はまさに真剣にひたむきに”芸術”を追求し続けてきたのだ。
そのことをまさに実感できるのが、豊田市美術館にて12月24日まで開催中の『ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠展』。
ギュウチャンこと篠原有司男は、高さ8メートル×幅50メートルというギネス級の極彩色ペインティングに加え、全長8メートルの『オートバイ彫刻』を発表。長いニューヨーク生活で培ってきた、ただでさえ強烈極まりない作風を超絶ジジイ的クソ力(註:褒め言葉です)でがむしゃらにブーストし、自らを現代における道祖神と化して、停滞した時代へのショック療法とばかりに叩きつける。

榎忠「ハンガリー国へハンガリで行く」(1977) (c)Chu Enoki
Photo: Manabu TAKAHASHI
一方、その相手を務めるのが、篠原の姿勢を心からリスペクトし、自らもまた、70年代当時日本と国交のなかったハンガリーに前身の毛を半刈りにして赴くなど、数々の伝説を打ち立ててきた榎忠(えのき・ちゅう)。
豊田市での展覧会では、総重量10トンに及ぶ金属パーツを組み上げた圧巻の巨大作品やインスタレーションを展示、オープニングでは篠原の『ボクシング・ペインティング』に対抗して、金属製の大砲作品から絵の具を充填した特製砲弾をブッ放してみせたという。
彼ら2人の作品に共通するものーーそれは現在のアート界から失われつつある、切実なまでの”生”の息吹である。
内的な切実さや衝動よりも、他人にウケることを指して”自己表現”と呼びたがる、安易にして浅薄な現在の風潮にあって、ほとばしるような欲求をひたすら追い求めることに命を注ぎ、作品を売るどころかゴミとして打ち棄てられるに任せるていたという、その精神のありようが照らし出すものは大きい。

榎忠 神戸のアトリエにて(2007)
Photo: Yuma HARADA
確かに、村上隆が著書『芸術起業論』(2006年/幻冬舎)で述べているように、「芸術家は清貧、表現は純粋であるべきであって、金儲けなど考えるのは邪道」という日本特有の芸術観が、日本の美術界全体の思考回路を卑屈化し、世界のアートマーケットから日本がほぼ無視されるという状況を作り出していること、これは事実である。
しかしこのことについて、篠原の親友であり、彼を数年間に渡り居候させていたグラフィックデザイナーの田名網敬一は以下のように語っている。
「僕には一般に考えられている純粋美術なるものが、果たして言葉通りの純粋な形として本当に存在し得るものなのか、まったくの疑問です。(中略)唯一、純粋芸術として思い出されるのは、60年代初頭のネオダダの連中の活動ですね。彼らは制作自体を目的化していて、作りたいという衝動のみで突き進んでいましたから」(「ART iT」 No.2 2004年冬/春号掲載のインタビューより)

篠原有司男 巨大壁画制作風景(2007)
Photo: Yuma HARADA
”純粋美術”=ファインアートに対して”応用美術”と括られ卑下されてきたデザインの世界に身を置きながら作品制作を続け、ようやく世界のアートシーンで今まさに躍進を遂げようとしている田名網が放つ、鋭い言葉。
世界躍進への宣言ともいうべき、田名網の新作展(10/27〜12/23までNANZUKA UNDERGROUNDにて開催)については改めて言及するとして、篠原作品が放つ圧倒的なまでの魅力のひとつのヒントが、ここにある。

Photo: William Farrington
「アーティストのエネルギーって、我慢比べだと思うの。再発するまでジーッと我慢してるんだね。セミだって卵から生まれて、ようやくミンミン鳴けるようになるまで何年もかかるんだぜ? そりゃあその間の我慢はたいへんなエネルギーだよ、冬眠なんてもんじゃないよね」(『篠原有司男対談集 早く、美しく、そしてリズミカルであれ』 2006年/美術出版社より)
とのこと、表現者を自負する者よ、その表現を50年間続けていく覚悟があなたにはあるか。「そんなの関係ねえ!」ならそれは芸術にあらず!
……と、勢い込んで近所のラーメン屋『手打ち芸術 アートラーメン』で、「当店の麺とスープは芸術です」と書かれた能書きに抗議したところ、製麺所の木箱の角でどつき回され、軽トラックの荷台に監禁されてたせいで原稿が遅れました。
ウケ狙い駄文の末路でこんなざま。覚悟が足りずに孤独窮まる。
EXHIBITION INFORMATION
『ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠展』
10月2日から12月24日まで、豊田市美術館にて開催。
深沢慶太
1974年生まれ。編集者。「STUDIO VOICE」編集部にてデザイン分野全般の特集や記事を担当したのち、現在フリー。「Numero TOKYO」コントリビューティング・エディター。「AXIS」「デザインの現場」「STUDIO VOICE」「Pen」「Invitation」「NYLON JAPAN」など雑誌への寄稿、webや書籍の編集のほか、展覧会の企画構成、アーティストのコーディネーションなども手がける。編集を手がけた書籍に、篠原有司男3部作、田名網敬一ペインティング集『DAYDREAM』(グラフィック社より11月発売予定)など。








