
ECD + 植本一子 | 進展 | 「WE ARE ECD+1」Vol.5
Text:ECD
Photo:植本一子
いちこが妊娠した。
この連載がアップされる頃には、もう安定期に入っている。
報告を受けたのは3月4日のことだった。
生理が遅れていたいちこがその日、市販の妊娠検査薬で調べてみたところ陽性だったのだ。
次の日、病院に行ったいちこから連絡があった。

「5週目だって」
そういうわけで4月の1日、2日と珍しく取れた連休を利用して、僕はいちこの案内でいちこの実家へ行くことにした。それまで、結婚に反対されているからといって、電話の一本も手紙の一通も、とにかく直接何の挨拶もしてこなかった僕が、妊娠という一大事を電話や手紙で済ませるわけにはいかない。そう考えて、多少報告が遅れたとしても、とにかく顔を見せて挨拶しなければ、と決めたことだった。
しかし、いちこは両親に黙っていることに耐えられなかった。
3月20日、僕はライブのため京都にいた。リハーサルが終わってホテルにチェックインしようと京都の繁華街を歩いていると、いちこから携帯に電話がかかってきた。
「お母さんに妊娠したこと話したよ」
ちょうどその時、大通りを何かのデモ隊が通りかかっていて、いちこの声は騒音でかき消されてしまい、その後はよく聞き取れなかった。僕は一度電話を切って、ホテルの部屋からかけ直した。いちこがいきなり実家に行ったりして、家族に腰でも抜かされやしないかと真剣に心配していた。つわりがきついのも両親に内緒にしていることがストレスになっているからではないかと考え、つわりが最高にきつかったこの日、自分から電話して妊娠を打ち明けたということだった。
いちこの母は、僕が広島へ行くことも正月の時のように拒むことはなかったし、産むことに反対もしなかったけれど、ただ「裏切られた」といちこに言ったということだった。
行ってみるまではどうなるかわからない。とにかく行くしかない、と僕は新幹線のチケットを取った。
それから10日間、僕はいちこの両親に会って何と言ったらいいのか、いくら考えても考えがまとまらなかった。
「心配おかけしてます」
そのひとことだけ最初に言おう。そう決めたのは広島へ行く前の晩のことだった。
品川を12:30に出発した新幹線で4時間、広島駅から在来線で30分ほどのとある駅で、僕たちは仕事帰りに車で迎えに来てくれるといういちこの父を待った。
「あ、あれ」
と、いちこが近づいてきた白い小型車を指差した。駅舎の下の駐車スペースに停まった車から現れたお父さんに、僕は頭を下げた。
「石田です。御心配おかけしてます」
山を越えて田んぼの真ん中を進む車中、何かと気をつかって話しかけてくれるのはお父さんの方だった。僕はまだ会っていないお母さんにどんな顔をされるのか気が気でなく、お父さんの気遣いをよそに、家が近づくにしたがって緊張を高めていた。
そのお母さんは車が到着するのを家の外に出て待っていた。
「石田です。御心配おかけしてます」
さっきと全く同じ挨拶を僕は繰り返した。
それから家の中に案内されて、おじいさんおばあさんに挨拶をして、すぐに食事の席に着いた。和やかに進む食事の際中、話題はいちこが保険証をなくしたせいで、まだ母子手帳をもらっていないということに及んだ。そこでお母さんが核心に迫った。
「それで、いちこを扶養家族にしてくれるんよね」
「あ、はい。その、許していただけるんですか?」
「許すもなにも、事実が事実じゃけん」
困ったような言い方ではあるけれど、実はうれしそうなお母さんの表情を見て、僕は初めてそれまでの緊張が解けて、自分の顔がほころぶのがわかった。
普通の大人がするであろう形式的な挨拶らしい挨拶を僕は何ひとつできなかったけれど、いちこの両親もそんなことにはこだわっていないように思えた。
それは結局「甘えてる」ということなのかもしれないけれど。
ECD
60年生まれ。ラッパー。本名石田義則。ファイナルジャンキー主催。 96年に、日比谷野外音楽堂で開催された伝説的なHIPHOPイベント「さんぴんCAMP」を主催したジャパニーズヒップホップのオリジネーター。アルコール中毒に悩まされた時期もあったが、今では立ち直り警備員をしながら音楽活動を続けている。『ECDIARY』(レディメイド・インターナショナル)『失点イン・ザ・パーク』(太田出版)などの文筆活動を始め、音楽活動以外でもその才能を発揮している。
植本一子
84年広島県生まれ。写真家。02年、高校生の生活フォトコンテスト受賞。03年、日本写真芸術専門学校在学中に、キャノン写真新世紀で、審査員の荒木経惟氏らから賞賛を受け、優秀賞を受賞する。現在はフリーランスで活動中。




