
KEITA FUKASAWA 深沢慶太 |『時は今、クリエイティブ de 派遣村』(その2/アート編);「NEWハイプ研究所2」連載第6回
NEWなタイプばかり称揚し、提灯(ちょうちん)記事で消費を煽り、プロモ期間を終えるや否や、”過ぎたるはお呼ばざるが如し”なのがメディアの常。 「NEWなタイプは消費の道具じゃない!」OLDハイプの欺瞞を糾弾しつつ、自らもまたハイプである葛藤に奥歯を噛む。 魂をメディアに縛られた人々へ。電波、紙に載らない本音の論評をもって我らがリテラシーの革新に挑む、NEWハイプ専用コラム連載。

★以下の例文のカッコ内に入るカタカナ語を考えなさい。
<例文>
「若い人たちにとりわけ声を大にして僕が言いたいのは、( 問1 )になったり、( 問2 )の仕事についたりすることは、この「乱世」において、とても勝ち目があるということだ。「乱世」というのは、経済のグローバリゼーションが国を超えてボーダレスに「価値」を決めたり、「歴史」という時間軸が、次々に「創発的」に再編集され続けられる「流動的な状態」から、誰もが逃げられない時代ということである」『アート新書アルテ03 アートを始めるまえにやっておくべきこと』/光村推古書院 P3「はじめに」文・後藤繁雄より)
<ヒント>
「印象派にしても、ゴーギャンが株の仲売人をしていて、ある瞬間に「よし、俺はペインターになるぞ」とか、ゴッホは牧師をしていたのに、「おら、絵描くべ」みたいなことで、それが一生懸命に絵を描いていたやつを越えていく時代が来て、今もそれが続いていると思う。技術ではなくて、その時代に対する自分のスタンスを、最低限の筆さばきやたどたどしい筆致で表現することこそが重要なんです」(同書P114 SESSION4「さらにその先のこと / 12 クリエイティブであるということ」椿昇の発言より)
……と、いきなりの出題にて恐縮だが、アーティストになったり、アートの仕事についたりすることは、この「乱世」において、とても勝ち目があるということなのだ。
この生きるか死ぬかの不況下で、お絵描きにかまけて、なんたる脳天気な。と思うかも知れない。が、アートほど、生きるか死ぬかを正面から見据え、その意味を突き詰めていこうとする行為は、他にはない。世界で通用するために、”殺し屋”としてのスキルを身に付けろ。『ダ・ヴィンチ・コード』などの大衆向けエンターテインメント作品をあなどるな。密かに埋め込まれたメッセージ、現代の支配システムに対峙するための”闘い方”を読み取れ。松本人志のお笑いは、日本の現代美術のクオリティのはるか上をいく。ただそこに足りないのは世界情勢に対する視点。ビンラディンをも笑い飛ばす”ラディカルさ”が必要だ。
……etc.。
ずばり、この本が投げかけているのは、世の中に溢れる情報の裏を読みながらサヴァイヴしていくことの重要性だ。そこから逆説的に浮かび上がってくるのは、西欧近代合理主義や資本主義のシステムに搾取され続ける哀れな下民つまり、我々自身の姿である。奴隷のままでいいの? それなら結構。でも”復讐戦”に臨みたいなら、ともに闘おう。待ってるぜ。というわけだ。
いったいいつから、アーティストはそういう存在になったのか。内緒の暗号を隠し塗りすれど、あくまで貴族など支配階級の御用画家、宗教的威光の代弁業者だった芸術家だが、いつしか近代的自我に基づく”自己表現者”に格上げ。日本にあってはさらに”クリエイター”などと呼ばれて、呼び名だけでも造物主(クリエイター)気取りでいられるようになった。”炭坑のカナリア”さながらにその身をもって世の中の既成概念や隠された因習を白日の下へと晒し出し、人々を更なる自由へと解放していく異能者。だからこそ、椿×後藤両氏は、「お絵描きだけでなく、政治経済や科学に対するリテラシーを身に付けろ」と喝破するのである。

つまり、アートこそは社会進化を次なるシフトチェンジへと導く、突然変異的な価値観の革命。であるならば、いまこの瞬間にも最新のテクノロジーと結びつき、才気煥発、さぞ新たな表現手法を花開かせているに違いない。
例えばiPhone 3Gのアプリケーションなどは、その絶好の場所ではないか。誰もが自らアプリケーションを開発し、その機能をアップグレードさせていくことができる、まったく新しいかたちの携行型情報端末、iPhone 3G。これはもはやケータイではない。ネットへの常時接続によってあらゆる情報をリアルタイムに携行可能にし、そのネットワーク網の拡張をユーザ自らが行えるようにしたこと、それによって自ら成長し続けるこの仕組みそれ自体が、革新的なインフラなのである。
この革新性をアートプロジェクトに活用したような例はないのか?
例えば『Memory Tree』というアプリケーションは、ユーザが訪れた土地の写真を撮影し、その写真を放り投げるようにiPhone 3Gをヨコに振ると、それがGPSの位置情報とともにサーバに記録され、共有できる仕組みだ。逆に、その土地を訪れた者が”思い出をキャッチする”ようにiPhone 3Gをタテに振ると、その場所に記録されている誰かの”思い出”が表示される。自分の”想い出”をその土地に残す。訪れた土地で、誰かの”思い出”に巡り会う。面倒なアップロード作業などは一切なく、iPhone 3Gを振るという感覚的なジェスチャーだけで、見知らぬ人と、その土地に記された”思い出”を介してつながることができる。

このアプリケーションだが、昨年、金沢21世紀美術館が中心となり、金沢市街を舞台に繰り広げられた『金沢アートプラットホーム2008』に出品されたもの。が、これは現代美術のアーティストの作品ではない。 ネットワーク・エンターテインメントをテーマに、世界で初めて着メロのダウンロードサービスを開発し、以後もオンラインゲームなどのコンテンツを多数発表している株式会社XeNN社長、クリエイティブディレクターの宮田人司による出品だ。アプリケーションそのものではなく、その仕組みによってつながりあい、蓄積されていく人々の”思い出”のネットワークを、一つのアートプロジェクトとして提示したのだが、それを金沢の地場と結びついたイベント上で発表したところが白眉だった。数多ある新進のコンテンツ産業と同じフィールドで開発され、今もなお、通常のiPhone 3Gアプリケーションと同じように利用できる(「アートでござい」という言及は一切ない)一方で、現代美術の文脈でも評価されうる”作品性”をも備えたプロジェクト。つまり、その他領域の職能によって手掛けられたものが、現代美術専業の”アーティスト”のそれよりも、ある意味”先進性”をもった作品として成立している、という事実がここにある。
現代は、科学技術の目覚ましい発達がその専門性を著しく高めた結果、日常的に用いられるツールであってもブラックボックス化が進み、その領域の専門家でなければ内部構造に触れられない状況が当たり前となった時代だ。いかなるアーティストといえども、単なる斬新なイメージの表現だけでは、このおそるべき速度の技術革新を、印象において凌駕することすら難しい。椿×後藤両氏の「アートを始めるまえにやっておくべきこと」を巡る対話が、脳科学や理論物理学はもちろん、エンターテインメントの領域にまで及んでいる理由が、ここにある。が、なにもアーティスト自身がそうした技術を身に付ける必要はない。科学者と協働するにせよ、アーティストがなすべきことは、先端技術を扱うことではなく、既存の価値観を突破しうるような新しい視点を投げかけることだ。ところがそういう意識を持ってアートを志す人はとても少ない。だからこそ、「”お絵描き”ばかりしていたら、世界に通用しませんよ」と、喝破されてしまうのである。
ヤノベケンジ 火を噴く『ジャイアント・トらやん』
(Photo: Seiji Toyonaga (c)Kenji Yanobe)
「僕も高校生の時は、アートとはどういうものなのか、ぜんぜんわからなかったけれど、1970年の大阪万博で、社会の中でアートがお祭りとして扱われているのを見てすごく刺激を受けたんです。同じようにまず今の高校生も、なんでもいいからアートに触れて感動してほしい。そして、生き方には多様性があるんだということを、早めに経験して知ってもらいたいんです。そのうえで「アートで生きる」と言ってほしい。自分がアーティストになる場合もあるし、プロデューサーやスタッフになる場合であってもいい。そこで「格好いいかも」とか「女にモテるかも」とか、そういうことでいいから、その匂いを嗅いで、何かを感じてほしいよね」(同書P18 SESSION1「話を始めるまえに」後藤繁雄の発言より)
ヤノベケンジもまた、大阪万博からある種の心理的インパクトを受けたことが活動のきっかけになったアーティストだが、この作品には度肝を抜かれた。3月に開催された『六本木アートナイト』、六本木ヒルズのアリーナでの火炎放射風景。『ジャイアント・トらやん』が歌って躍ってゴオオオオオオオと火を噴くたびに、子供から老人までが喚起の声を上げ、携帯電話のカメラやビデオでこれを録画するなどして記録し、毎日というかその日がスペシャルな気分に浸っていた。少年時代、取り壊し中の大阪万博パビリオン群の姿に”未来の廃墟”を見いだして以来、科学文明の描き出す虚像と、その痕跡である世界でいかにサヴァイヴァル/リヴァイヴァルしていくかを、表現を通して追い求めるようになった……。
という作家の制作背景はおいおい知るとしても、なによりもまず、「なんだこれは!」((c)岡本太郎)という、他には代え難いベラボーな衝撃。手を叩いて小躍りしている幼稚園児が、ゆくゆくは同じようなベラボーな表現を世に放つ立場になるであろう、連鎖のパワー。そのベラボーな連鎖反応こそ、アートが社会に対して持ちうる影響力の最たる例ではないだろうか。

ところで、6月19日から8月9日まで、銀座のBLD GALLERYで開催される『ジャイアント・トらやんの大冒険』展では、この『ジャイアント・トらやん』が、ヤノベワールドを代表するキャラクター『トらやん』に続いてフィギュア化され、新たなテーマを象徴するインスタレーション作品を構成するほか、限定100体を販売するという。
ほ、欲しい。そして自分も、廃墟と化したこの世界というか自室でサヴァイヴァル/リヴァイヴァルしたい……。
と無想していたところ呼び鈴が鳴って、玄関先に大家が仁王立ち、人類滅亡後もサヴァイヴァル必至といわれている生物がこの部屋から発生している旨を告げられ、バルサンに強制着火。大切な絵画や作家物の茶碗などを抱え込み、夜中になっても治まらない煙を前に路上で立ち尽くしていたところ、いぶかしんだ近所住民が消防&警察に通報、さんざんに吊し上げられて、現代社会に生きることの難しさを痛感しました。「アートをほしがるまえにやっておくべきこと」。まずはそこから出直します。
Posted by:
深沢慶太 Keita Fukasawa
フリーエディター。1974年生まれ。『STUDIO VOICE』編集部を経て、現在フリー。『Numéro TOKYO』(扶桑社)コントリビューティング・エディター。『AXIS』『デザインの現場』『NYLON JAPAN』など雑誌へのデザイン〜アート関連記事の寄稿、webや書籍の編集のほか、企業プロモーションや展覧会の企画構成などにも携わる。編集を手掛けた書籍に、篠原有司男3部作(美術出版社)、田名網敬一ペインティング集『DAYDREAM』(グラフィック社、編集者9名へのインタビュー集『記憶に残るブック&マガジン』(BNN新社)など。













