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NANZUKA UNDERGROUND | アートに今できること |「NANZUKA AGENDA」Vol.8

従来の現代アートの枠組みにとらわれない活動を展開するユニークな作家たちを擁するNANZUKA UNDERGROUND。白金にあるメインギャラリーに加え、以前のホームグラウンドだった渋谷の地下スペースに新コンセプトスペース「NANZUKA AGENDA」を開設するなど、今後の展開も注目される同ギャラリーのギャラリスト・南塚真史氏が、自身の体験をもとにしたアートシーンにまつわる回想録を綴っていきます。

Text:南塚真史

この未曾有の大災害の前に私たちアート関係者に何ができるのか、ずっと考えている。東京で体験した、あの強烈な揺れがなければ、未だにTVに映っている光景を信じられなかったかもしれない。ビジュアルアートがいくら高度な技術やアイデアを提示したとしても、この目の前の現実にはまるで太刀打ちできないだろう。「こんな時にアートなんて」と多くの人は思うだろう。しかし、「こんな時こそアーティストに奮起してもらいたい」と私は願う。

1937年、ピカソは祖国スペインの内戦の惨状に心を痛め、かの歴史的名画「ゲルニカ」を描き上げた。反乱軍を指揮するフランコ将軍を支援するナチスによるバスク人の小都市ゲルニカへの空爆は、史上初めての都市無差別空爆と言われている。
滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させた。亡くなった我が子を抱いて泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人々、狂ったように嘶く馬などが強い印象を与える縦3.5m×横7.8mのモノトーンの大作である。
ピカソはのちにパリを占領したドイツ軍の将校から「『ゲルニカ』を描いたのはあなたですか?」と問われるたび、「いや、あなたたちだ」と答え、同作品の絵葉書をみやげとして持たせたという逸話が残っている。ピカソを20世紀最高のアーティストのひとりとたらしめている名作である。

ゲルニカ


このピカソの「ゲルニカ」の伏線として、同じスペイン人画家ゴヤが19世紀初めに描いた描いた「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺」がある。
宮廷画家として成功を収めたゴヤだが、この作品以降芸術家としての別の責務に目覚め、それまでの優麗都雅(ゆうれいとが)な作風を捨て、祖国のために命を捨てて戦う民衆の姿を描き上げた。この作品は、1808年5月2日夜間から翌5月3日未明にかけてマドリッド市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描いたものである。処刑は市内のいくつかの場所で行われたが、本場面は女性や子供を含む43名が処刑されたプリンシペ・ピオの丘での銃殺を描いたもので、真贋定かではないが、丘での処刑を「聾者の家」で目撃したゴヤが憤怒し、処刑現場へ向かい、ランタンの灯りで地面に転がる死体の山を素描したとの逸話も残されている。同作品は、現在「ゲルニカ」と同じマドリッドのプラド美術館に収蔵されている。

GOYA


孤高の日本人彫刻家流政之は、海軍飛行科予備学生として零戦の戦闘機搭乗員として大戦を経験を生き延びた。その後独学でアーティストになり、9.11で崩壊したニューヨークのワールドトレードセンター前広場にその作品が常設される国際的なアーティストになった。
この「雲の砦」は、9.11テロの際、崩落したWTCビルの下で奇跡的に原型をとどめていた。流の作品は、その戦争体験を万人のものとして認識させる静かな力がある。戦死した戦友を弔っているかのようなモニュメンタルな作品の数々は、アーティストの自己責任とアートの存在意義を強く感じる普遍性を備えている。

流政之


社会派アーティストとしてカリスマ的な発言力を持つ写真家、藤原新也は、「現地に行くことがなぜ必要かというと、それによって解決策が生まれるということではなく、テレビや新聞などの二次情報というものにはリアリティがなく、本当の意味で切実な思いを抱くことはないからである。まず施政をする者はその心に楔を打ち込む意味で現地を訪れ、死臭を嗅がなくてはならない。そうであってこそ必死で何かをしようという施しの意識が生まれる」とメッセージを残し、今まさにカメラの他に大量の支援物資を抱えて現地に赴いている(Shinya talk)。 また、今現在銀座の永井画廊で開催中の「死ぬな生きろ」展の会期を延長し、その売上から震災の義援金を送ることを宣言している。

藤原新也

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」(1971)

私は、今日本人アーティストの動向にこれまで以上に注目している。ファインアートに限らず、グラフィックデザイナーもファッションデザイナーもミュージシャンもあらゆるジャンルのクリエイティヴが、この状況をどのように捉え、向き合い、何を言えるのか。
「こんな時にアートなんて」と言わせてはいけない。先が見えない時こそ、アートが社会を勇気づけ、未来を提示し、リードしていってほしいし、そうであるべきだ。振り絞って創作に向かってほしい、そう願う。




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