
ENLIGHTENMENT | エンライトメント | Artist / Graphic Designer
インパクト勝負ともいえるヴィジュアル表現の世界では、大衆の支持を集め得る独自の作風を確立できた時点で、そのクリエイターの将来はある程度約束されることになる。例えばエンライトメントが生み出した油絵タッチのデジタルペインティングのように。しかし、彼らは当時革新的だったその手法に拘らず、次々と新たな表現を生み出し、グラフィックの可能性を押し広げてきた。近年では、「マインドプリーツ」という作品で、映像表現の新たな地平を提示し、さらにはファインアートの領域にも活動の場を広げている。今年で設立10周年を迎えるエンライトメントのメンバー三嶋章義、鈴木シゲルの2人が、その多岐に渡る活動について語ってくれた。
Text:原田優輝
まず始めに、現在の活動内容について教えてください。
三嶋(以下M):大きく分けると、CDジャケットデザイン、ミュージックビデオやCM制作、雑誌などへのグラフィック提供などのクライアントから発注される仕事と、自分たちから発信する現代アートの作品制作です。
三嶋さんはNANZUKA UNDERGROUNDで個展もやられていますが、メンバー各自の課外活動も盛んなのですか?
M:以前に比べれば増えてきていますが、基本的にはメンバーの誰が担当しても「エンライトメント作品」という形をとるのが僕らの方針です。そうすることで、エンライトメントの枠をさらに広げていきたいと思ってます。ただ、(ヒロ)杉山は以前から個人名でも作品を作り続けていますし、僕も個人名義での個展や、ファッションデザイナー山本亜須香とFUGAHUMというファッションブランドを立ち上げたりしていて、メンバー個人の広がりもこれからはもっと出てくると思っています。
複数のメンバーで活動していく上で、「エンライトメント」としてのイメージを保っていくポイントはあるのですか?
M:もちろんあります。作品のクオリティや見せ方などは感覚的なものなので説明が難しいのですが、その感覚をメジャーとアンダーグラウンドのバランスを取りながら、作品に落とし込んでいけるように心がけています。それが偏ってしまって、ある一定の層にしか届けられないというのは避けたいので。そのバランス感覚がメンバー全員にあるから、バラバラにならないのだと思っています。


「AFTER THE REALITY」/Daichi Project, New York(2006)
最近は現代アートにも力を入れているようですね。
M:そうですね。5月にHIROMI YOSHIIで個展、10月には森美術館の企画展に参加する予定です。
現在HIIROMI YOSHIIに所属していますが、ギャラリーサイドからのアプローチがきっかけだったのですか?
M:はい。杉山が若い頃からファインアートが好きで、彼自身もこれまでに何度も個展をやっています。もともとアートへの意識は高かったのですが、最近まで日本にはアートマーケットが殆どなかったし、日本におけるグラフィックデザインも世界における現代アートとはかけ離れている。そういう意味でも、これまで僕らが手がけてきたグラフィックや映像作品、インスタレーションなどでは、なかなかチャンスは少ないと思っていたのですが、ギャラリストの吉井さんが目をつけてくれたことをきっかけに、少しずつ現代アートのフィールドにも進出しています。


「LIE FO MIRROR」/changingrole move over Gallery, Napoli(2005)
それを機に制作される作品も変わってきているのでしょうか?
M:それはありますね。グラフィックや広告などは、やはり「消費される」ことが前提だし、あくまでもマスに向けた告知というところからは逃れられないと思うんです。ポスターを作ったとしても、それが何十年も残ることはほとんどないですし。グラフィックデザインはスピード感があるし、勢いのある旬な作品を作る上では非常に面白いのですが、現代アートの世界では、制作における時間の流れやテンションが変わってきます。アートはコンセプトを買ってもらうようなものなので、作品に一本の筋を通すことに時間をかけるし、メンバー全員の想いや人間味などをどう伝えるかというところという部分への比重が大きいんです。
一般的には、グラフィックチームと見られがちなエンライトメントですが、ファインアートの作品を制作していく上で、そのイメージが障害になることはあるのでしょうか?
M:やはりありますね。MACを使って制作している時点で、「グラフィック」と括られてしまう。そういうこともあるので「マインドプリーツ」のような作品では、映像や音を効果的に使った空間インスタレーション作品として発表しています。ただ、世界中のアートフェアなどを見て回っていますが、実はそれはあまり大きな問題ではない。デジタルの手法で制作しているアーティストは多いし、トーマス・ルフのように写真作品でもデジタル加工された作品が増えていますしね。

「Mind Pleats」/Canon Gallery(2005)
アートにおける表現手段として、作り手が「デジタル」と「アナログ」の違いを意識せざるを得ない状況は、日本特有のものなのかもしれないですね。
M:そうかもしれないですね。例えば、海外では雑誌などをデジタルコラージュした素晴らしいアート作品がある。でも、それを僕らがやるとなると、どうしてもブレーキがかかってしまう(笑)。また、アナログ的な手法で描かれている厚みのあるペインティングやドローイングに比べると、デジタル作品はいくらでもコピーできてしまうという問題もあります。それでも、エンライトメントとして作品発表する場合、やはりデジタルというツールで勝負したいという想いがあるんです。世間一般のデジタル作品の価値観を変えていきたい。
S:そこが僕たちのテーマなんです。アナログでトライしようとした時もあったんですが、やっぱりしっくりこなかったということもありましたし。
現代アートをやっていく上では、世界的なマーケットも視野に入れる必要があると思うのですが、“日本人”アーティストという自覚はありますか?
M:自覚はありますが、僕たちにはカイカイキキのような日本らしさはないと思っています。自分が育ってきた数十年間は、見るものにしても食べるものにしても欧米からの影響ばかり。その背景があるのに、あえて日本にこだわるということが僕のなかではリアルではないんです。それよりも、欧米のカルチャーを日本人のフィルターを通してどう表現していくかというところにリアリティを感じます。

「SUPER FLAT」/MOCA、Los Angeles(2001)
それがエンライトメントのコラージュ的な手法にもつながるのですか?
M:確かに日本人には独特のミックス感覚がありますよね。世界的にも収集/編集能力がズバ抜けている人種だと思います。オタクですよね。だから、そうやって世界の色々なシーンに触発されて生まれてくる作品が、日本的であろうとなかろうと、今まで育ってきた環境が自然とそうさせているわけだし、あまり意識はしていないですけどね。
日本のクリエイティヴシーンに対して感じることを聞かせてください。
S:素晴らしいと思いますね。最先端じゃないですか? 情報のスピードも異常に早いですしね。
M:基本的には恵まれている環境だと思います。それは海外に行くようになってから特に感じることです。海外だと宗教や種族が違うだけで受け入れられないことも多いのですが、日本人はひとつのものに対してあまり偏見がない。良いものは良いと自分の価値観で判断してくれる。海外に比べたら意識は高いですよね。作り手側からすると、レベルが高くなってきている分、本当に良いものを作らないと認めてもらえない時代になってきているのだと思います。だからこそ、そこに響くものを作っていかなくてはならない。様々な情報が細分化されていくなかで、マスにもコアにも届くものをいかにやっていくかというところがテーマだと思っています。そこが面白くもあり、大変でもあり(笑)。
現在のエンライトメントは、そんな現在の社会に対応できるユニットではありますよね?
S:その幅広さが強みだと思っています。
M:世間の人たちが持っているエンライトメントのイメージと、僕らが思い描いているヴィジョンは違うと思うんですよ。多くの人には、やはり広告系の仕事のイメージが定着していると思いますが、僕たちのなかには現代アートからファッション、それこそ『Public/Image.magazine』で制作しているような作品なんかもある。世間の人たちが持つエンライトメントというパブリックイメージを崩していけたらとは考えています。


