
REI HARAKAMI | レイ・ハラカミ | Musician
くらもちふさこの名作コミック『天然コケッコー』を、商業映画と自主映画の断絶を繋ぎ、そのオフビートな作風で知られる 山下敦弘監督が映画化したことは、その前評判の賑やかさにより、多くの人たちが知ることとなった。その映画音楽を製作し「社長! くるりの主題歌が入ってません!」という奇妙な惹句とともに一枚のアルバムにまとめあげたのが本稿の主役レイ・ハラカミその人だ。奇しくも同時期のリリースとなった、矢野顕子とのユニット yanokamiによる待望の1stアルバムについてのトピックと併せて、その創作の背景について話を訊いた。
Text:前田毅
映画音楽を作ってみて苦労したことなどは何でしょうか?
苦労話しかないですけどね(笑)。まあ、淡々とやって淡々と終ったって感じですが、山下監督側からもらったオーダー通りに進めていったら、一度ほとんどボツにされたという(笑)。
(笑)。それはファースト・テイクがということですか?
オーダー通りに作ってみたら、そのシーンには音がいらないことがわかりました、みたいな(笑)。原作も含めて、非常に些細な心の揺れ動きを描いているような作品なので、劇的な場面展開などで展開していくようなものではない作品ですからね。音をつけることでその場面に対して、感情移入を促し過ぎてしまうようなことになったりもして、それなら音はつけないほうが良いという判断でナシになったりとかは幾つかあったんです。でも、音が無くても成立している作品でもあったので、なるべく邪魔しないように作ったんですけどね。たしかに、ぼくのこれまでの作品中でも、一番音数が少ないのが『天然コケッコー』ではあるんですけど、その分、逆に自己主張が明確になってたりもするような気もして、なんか面白い作品にはなってるかなとは思いますね。
そこにただ物が置かれているような感じの音楽だと思ったのですが。
「こんなに隙間だらけの音楽を聴かせていいのだろうか、俺は!?」みたいな感慨はありましたよ。くるりの主題歌も収録されないこともわかっていて、なんか全体を聴いてみても座りが悪いなあと思って、1曲追加したりはしましたけど。ボーナス・トラックは全然悩まずに2、3日で作ったらこうなっちゃった感じです。なんか良い意味でこのアルバムに対する自分の心境が出てるように思いますね。
山下監督の音楽的感性ってどうなんですか? 何か音楽の話とかしましたか?
ワハハ、いやーあんまり褒めてはくれなかったなあ(笑)。まあ、監督の作品は過剰な感情移入をさせるような音楽の使い方はしないということはわかっていたんで、邪魔しないようにと常に考えてはいましたね。

『天然コケッコー』は7/28よりシネスイッチ銀座、渋谷シネ・アミューズ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー。山下敦弘監督のインタビューはこちらから。
今後も映画音楽は作っていきたいと思っていますか?
チャンスがあれば。でも、ゆっくり作りたいですね。映画で音楽をどこにつけるかっていうのは作業工程で言えば最後になってしまうので、どうしてもバタバタしたやり取りになってしまうんだけど、そういうのは正直苦手です!
(笑)。好きな映画音楽作曲家とかいたら教えてもらえますか?
ニーノ・ロータは好きですよ。フェリーニって常にワンパターンなものしかニーノ・ロータに求めてなかったみたいだから、ニーノ・ロータのモチベーションというのは他にもっとあったハズなんですよね。でも、その関係性を傍から見てると悪くないというか。まあ、それに憧れるかといえばまた別な話なんですが、そういうクールさは僕にはありますね(笑)。
なるほど(笑)。同時期にはyanokamiのデビュー・アルバムの発売もありますが、これは長い時間を掛けて作り溜めてきた作品なわけですが、具体的な作業内容についてお話をお願いします。
03年くらいから矢野さんとはちょこちょこやっていて、実質4年とか。とは言え、4年間ずっとやっていたわけではなくて、僕も矢野さんもその間に2、3枚作品は出しているので、本当に無理なくマイペースでやってきたというのが実際です。ただ、本当にゆっくりやってたぶん凝縮感もあるし、妥協もせずに1曲1曲ちゃんと入魂状態で作ってるから、まとめたときにすごい暑苦しいアルバムになってたら嫌だなあとは思ったんだけど、マスタリングの小鐵徹さんのマジックも含めて、とても良い仕上がりになったと思いますね。

ユニット結成当初からアルバムまでもっていこうという話し合いはあったのですか?
いや、それはちょっとずつだよね。矢野さんのアルバム『ホントのきもち』(04年)で2曲やったときに、その前年作った「終わりの季節」と「David」を併せるともう4曲あるから、矢野さんと僕のユニットというか連名でシングルとか出したい、とか矢野さんが言ってくれて、そこからじゃもうちょっとやってみようとか言って始めたら曲数も溜まってきて、という流れですね。で、今年の『細野晴臣トリビュート・アルバム』で「恋は桃色」を久々に矢野さんとやって、そのときにスゴい達成感と手応えを感じたので、ここにきて「あっ、もう10曲作った!」とかなっちゃって。それに、僕としては細野さんの「終わりの季節」で始まり、同じく細野さんの「恋は桃色」で締めるみたいな感慨も含めて、なんか良いアルバムになりそうだなあ、という思いが溢れたというか。
4年という長期に渡って取り組んでこられたyanokamiですが、明確にソロとユニットでは考えかたの使い分けとかされていたのでしょうか?
ていうか、実際、僕ももうおっちゃんですし、矢野さんも歴戦の人ですから、お互いもう焦ってないんですよね(笑)。これがまだ20代とかであればもっと気持ち焦っていたと思うんですが、もうそういう感じはないですよね。ただ、つまんないものは出したくないという思いは強かったです。僕も矢野さんも妥協は絶対しないので。だから、やり取りとしては「三歩進んで二歩下がる」ようなね。ちょっと間が開いちゃうと「あのフレーズ録り直してー」とかなっちゃうから。じゃ、それに合わせてミックスもやり直してとか。ただ、やり直せば、矢野さんの歌にしても、僕とエンジニアの小野寺さんのミックスにしても、すごくきちんと良くなっていったプロセスがありました。だから、そこらの“スピード命”みたいな「早い人」には作れないものは作ったなという自負はあります。それにリリースのタイミングを見計らうような「旬な音楽」を作ってる気もないからね。バーッと出して散るみたいなさ(笑)。そういう共通認識があったから別に焦らなくても良かったというか。
ダンス・ミュージックの観点で言えば、「リミックス」というのは他人とのコラボレーションでもあるわけで、これまでハラカミさんが「リミックス」をしてきた中で養われていった共同作感覚の延長にyanokamiもあったりしないのですか?
まず、僕がよくリミックスを手掛けてた頃から“サビ連呼”とかキックをゴンゴン入れたりするだけとか、「なーんか頭悪いなあ」とは思ってたなあ(笑)。「もっと好き勝手いろいろできるじゃん、何でやんないの?」って感じで。僕は最初から歌モノの依頼がきたら、Aメロ、Bメロ、サビ、全部使ってあげて、ちゃんと「アレンジ」を変えるというやり方をしたいとは思ってましたから。そういうふうにしたほうが発注してきてくれた人は喜ぶと思ったんだよね。そこから本当にUAやくるりに繋がっていったし。

そこまで発注者の喜びを考えてリミックスを受けるその姿勢というのは、どのようにして発想されたものなのですか?
うーん、グチャグチャにするのは簡単だけど、積み上げていくのは結構大変ですからね。そもそも、打ち込みを始めたときも、いまに繋がるような音楽が作りたくて始めたとかじゃないですからね。元々バンドをやっていたんですが、プレイヤーであることって限定されるものが多すぎる気がして、それよりはコンポジションのほうが僕のやりたいことに近いという思いもあったので。一度、プレイヤー的なものは捨てて、打ち込みをちゃんとやってみようというところから始めましたね。あと、「テクノロジーの進化が音楽の新たな可能性を開く」みたいなことにはあまり興味がないですね。新鮮な音色にハマるようなこともないし。まあ、僕の音楽はある意味ですごいフェティッシュではあると思うんですけど。1stアルバムを作ってるときも、こういう音楽をやってるけど資質的にはすごい古典的だとは自分でも思っていましたからね。まあ、バンドにいてイニシアチブを取りたいとかいうタイプではなくて、むしろ、メロディ作ってるよりアレンジ考えているほうが好きみたいなところはありましたね。それこそ、10年くらい前に、矢野さんのピアノ1台でいろんな曲をカバーするアルバムを聴いてすごい感銘受けたりしてたから。だから、僕の中ではいろんなことが繋がっているんですよ。
おふたりには共通した、ある種の土着的なメロディみたいなものを感じるのですが?
そこは考えてはいないよね、自然と出てくるものとしか言えない。なんかブラック・ミュージックの、あの土壌があるからこそ出てくる感じというか。僕の音楽からブラック・ミュージックのエッセンスを嗅ぎ取るのはたしかに難しいとは思うんですが、ブラック・ミュージックは好きで。日本でブラック・ミュージックをただ再現してるようなグループを見ると、なんか借り物ぽいというか、そんだけテクニックあるなら自分のことやればいいのにとかすごい思う。シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノも含めて、なんかすごい「血」で音楽を作ってるような気がするんですよ。「血」で作っているからこそ、僕たちもそれをすごく魅力的に思えるわけだし、そこはやっぱり影響は受けながらも自分の音楽に単純には出ないですよ。そんなようなことだと思う。

でも、大方の人はそのような影響を単純に出さないと音楽が作れないようにも思うのですが?
だから、もっと自分の資質みたいなものに対してクソ真面目に向き合えば良いことじゃないですか。
おお、なるほど。
で、たぶん矢野さんもそうだと思う。矢野さんもジャズは好きだろうけど、モロなジャズはやらないわけですよね。そんなことをしても自分は借り物でしかないということは本人わかってるわけだから。私のできることでやりたいことをやることになるというか。それは選択肢を狭めているんではなくて、僕からすれば“絞り込んでる”ことだと思う。いいのかな、こんないい話してて(笑)。
しかし、それはとても大変なこですよね?
スゴいシンドイですよ、それは! でもやっぱりそこは導き出していくものかなぁ。その代わり、できる限り締め切りに追われないように生きてきましたから。まあ、締め切りを作りたがる人は一杯いますけど、締め切りを作りたがる人とは上手くやってはいけない。それでも俺に仕事をさせたかったら、という生き方ですよ、別に強気なわけじゃなくて。だから、そんなにお金いらないもんって本当に俺思ってるから(笑)。
ちなみに好きなブラック・ミュージックって例えば何ですか?
うーん、KDJかな。





