
KAZUNARI HATTORI | 服部一成 | Graphic Designer
最近、ドキドキワクワクさせてくれるようなグラフィックデザインとの出会いが減ってきている気がする。単純に目立てばいいとか、奇をてらったデザインを求めているということでは決してない。グラフィックデザインって良いなと思わせてくれる瞬間。魅力あるグラフィックデザインとの出会いは、いつも刺激的で、楽しい瞬間だ。街を歩いていて、あるいは本屋で雑誌や書籍を探していて、美術館でチケットを購入した時など、ふとこのデザイン良いなと思い調べてみると、服部一成とクレジットされていることが多い。キユーピー「キユーピーハーフ」の広告キャンペーン、『here and there』『流行通信』(02-04年) 『プチ・ロワイヤル仏和辞典』などのエディトリアルデザイン、東京国立近代美術館『ドイツ写真の現在』(05年)のグラフィックデザインなど、彼がデザインするものからはグラフィックデザイン特有の匂いとでもいうような魅力を感じることが多い。では、服部一成ならではの魅力とは一体何なのか? 彼は今、グラフィックデザインをどう考えているのだろうか?
Text:蜂賀亨
まず、東京TDC賞グランプリを受賞した「TAKEO DESK DIARY 2006」について話をお聞かせ下さい。
これは紙の商社の竹尾が毎年同じフォーマットで作っているダイアリーなんです。僕の前には浅葉克巳さんがアジアの文字をテーマにして2年間デザインをしていたので、今回は欧文書体をテーマにして欲しいという依頼がありました。ダイアリーなのでスケジュールを書くためのページもあるのですが、それ以外のヴィジュアルページにAからZまで26文字すべてを違う書体で描きました。ボストンレッドソックスのユニフォームの書体や、アンディ・ウォーホルが作品に入れる自分の名前に使っていた書体など、僕の好きな書体や記憶に残っている書体などを集めました。僕は書体の権威というわけではないので、欧文書体の教科書みたいなものは作れない。僕自身はいちデザイナーとしてそういった書体を好き勝手使わせてもらっている立場なので。じゃあ、その立場からやれることは何かということを考えました。また、あくまでもダイアリーであるため、文字に興味を持っていない人が見ても、面白いものでなければいけないだろうということも念頭に置きました。


「TAKEO DESK DIARY 2006」
文字に対する興味をもち始めたきっかけは?
僕がグラフィックデザイナーを志したきっかけは、ポスターやレコードジャケット、雑誌などのグラフィックに、絵画などの美術作品とは違った魅力を感じたからですが、ポスターや雑誌って、情報とイメージ、言葉とイメージが一緒になっているものじゃないですか。たまたまふたつが同じ空間にあるというのではなく、そこには何かしら有機的な関わり合いがある。その関係を作っていくことが面白いんです。だから、昔から文字の組み方次第で、デザインは良くも悪くもなると思っていたし、そこに大きな興味を持っていました。それだけグラフィックデザイナーという仕事において、文字が占める比重は大きいと思います。文字は幾何的な図形とは違うし、かといって意味を伝えるだけのものとも言い切れない。そんな文字独特の面白さというのがあると思うんです。今回も、そんな文字そのものが持つ不思議な魅力みたいなものを感じてもらえないかと考えたんです。
今回の作品はすべて服部さんの手描きなんですか?
はい。学生に戻ったような感じでしたね(笑)。ここにある書体は僕のオリジナルではないので、表面的には(自分の)オリジナルの造形は何もないワケです。引用してきて、なぞっているだけですからね。でも、選んで、描き起こしたものをを並べることで、結果的には僕の視点が伝わるようなものにはなる。人のスケッチブックを覗く時の楽しさってありますよね。それを意識して、下の方に小さく何か一言書いてあったり、レタリングした日付を入れたりしています。これは06年のダイアリーなので、僕自身は05年にこれらの文字を書いているワケですが、その日付けが入っていることで、ダイアリーを使う人が1年前の僕の作業を追いかけているような感じになって面白いかなと思ったんです。

「TAKEO DESK DIARY 2006」
普段から手で描いたりすることはあるのですか?
普段はレタリングなんてしないですよね。コンピュータ上で文字をいじることはありますが、フリーハンドの文字を別にすると、手描きできっちりと文字を仕上げることはないので、普段の仕事とは違う作業でしたね。やってみて、手描き作業とモニター上の作業とでは、時間軸が違うと感じました。コンピュータは試行錯誤しながら進めやすいし、やり直しも簡単です。でも、手描きは一発勝負。そういう緊張感はありましたね。前の世代の人たちはこういうことをずっとやっていたと思うんですが、デザイナーの仕事もずいぶんと変わったということだと思います。
コンピュータを使った作品と使っていない作品では違いが出てくると思いますか?
それは難しい問題ですが、例えば、手で描いた三角形とコンピュータで描いた三角形では情報量が違うとは思います。コンピュータの場合は3点が決まれば、自動的にカタチが決まる。でも手で描いた場合は、ある部分が少しゆがんだりということがある。微妙な差ですが、見た印象はやはり違ってくると思います。どちらが良いということではないんですが。
個人的には、昔の駅貼りポスターなどは、今より面白かったような気がしています。それに比べると最近のポスターなどは少し「薄い」というか…。
デザインがスゴく記号的なものになってきているという気はします。例えば、「あのポスターの赤は微妙に渋くてかっこいい」というような感覚がなくなってきているかもしれません。赤なら一番鮮やかな赤を求める傾向が強いというか。単純化されてきていますよね。今は、コンピュータのモニターで見たものと、街で貼られているもの、ビルボードで見るものがすべて同じ情報量という感じはあるかもしれないですね。昔のポスターは、“モノ”としての存在感が求められた。そういう意味でも、デザインの意味が変わってきているのかもしれません。今は、より明解なヴィジュアルが求められるようになってきていて、「赤が渋い」などということを言っている場合じゃないという感じも少しありますよね。あと、得体が知れないものが許されないっていう感じもあるかな。
本物のグラフィックって少なくなってきているような気もしますが。
グラフィック特有の不思議な魔力や迫力がある作品が少なくなってきているとは確かに思います。昔はポスターやレコードジャケットの好きなグラフィックを部屋に貼ったりしたものです。単にきれいな装飾というのではなくて、心情的にそのグラフィックに入れ込んでしまうような、文学や音楽と似た感覚があった。そういうグラフィックは少なくなってきているような気はします。よくできた、きれいなポスターはたくさんあるんだけど、それを部屋に貼るかということになると、そうでもない。見る人と個人的な関係を結べるところまではいけない、というか。


(左)『流行通信』2002年1月号、(右)『here and there』Vol.7
そういった状況において、服部さんはどんなグラフィックデザインをしていきたいと思っていますか?
僕は、雑誌や広告のアートディレクターの仕事をしていますが、自分の基本はグラフィックデザイナーだと思っています。グラフィックデザイナーとしての感覚をベースに、アートディレクションをしています。プロダクトや空間など、アートディレクターの仕事の領域は広がって来ているけど、僕はグラフィックならではの魅力を追求したいと考えています。グラフィックが自分の中でどんどん面白くなっているんです。グラフィックデザインには際限がないような気がする。まだいくらでもやれることがあるハズだと思っています。
服部さんのデザインはどのようにして生まれるのでしょうか?
デザインには、作者の日常的な考え方や生活の上での趣味嗜好、生活態度などが、どうしても反映されると思います。僕のデザインは、どこでも手に入るものとか、誰でも使える素材や技術を使っていることが多いです。普通の紙、普通の書体、普通の印刷技術を使って、結果は普通ではない、他にないものを作りたい。例えば文章でも、簡単な言葉で、的確に言いたいことを表現しているものの方が、難しい言葉でいかにも難しいことを書いてあるものよりも実は上等なんじゃないかという意識があるんです。
最後に、最近の活動について教えてください。
印刷博物館「P&P Gallery」で企画展『GRAPHIC TRIAL 2007』に参加しました。4名のグラフィックデザイナーが「印刷表現の追求」をテーマに、ポスターをデザインした企画展で、僕はCMYKを線に置き換えて、表現してみました。網点を網線に変えてみたんです。『here and there』の最新号が発売になりました。また、10月19日からは、青山の「ギャラリー5610」で展覧会をやります。「視覚伝達」というタイトルで、この展示のためにポスターを約20点、制作する予定です。グラフィックデザインについていろいろ考えてることを、出来る限りかたちにしたいと思っています。



『GRAPHIC TRIAL 2007』より








