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TARO HIRANO | 平野太呂 | Photographer

アメリカ西海岸のスケーターたちの滑り場となっていた廃墟のプールを撮影した写真集『POOL』(05年)で、一躍注目を集めた写真家・平野太呂。「水のないプール」という、見る者のイマジネーションを無性にかき立てるサブジェクトを、フラットに切り取ったどこか不思議な佇まいを持った写真は、平野のスケーターとしてのバックグラウンドを知らない多くの人間をも惹き付ける作品だった。そして先日、自身2作目となる作品集『ばらばら』をSAKEROCKの星野源との共作というカタチで発表。その出版を記念したエキジビションが開催されていた会場で、平野の写真へ対する想いなどを聞いた。

Text:原田優輝

まずは、写真を始めたきっかけを教えてください

ハッキリとは覚えていないんですが、当時漠然と抱いていたのは、なぜ写真というメディアが芸術として取り上げられるのか、という疑問だったんです。写真なんてカメラひとつあれば誰でも映すことができる。でも、写真家の人が撮るとそれが作品になるというのがスゴく不思議で。それがどうしても気になってしまって、そこに何があるのかを知りたくて、自分で始めるようになったんです。

では、特定の写真家や作品に興味があったワケではないんですね。

そうですね。写真というメディア自体が不思議だったんです。あと、カメラマンって職業としても成り立っているじゃないですか。そこがいわゆる「芸術家」とも少し違う。その幅の広さに魅かれたのかもしれないですね。一緒に仕事をする人たちの中の、「写真係」というポジションがいいというか(笑)。そういうちょっと中途半端な感じが好きなんです。

本格的に写真を撮り始めたのはいつ頃なんですか?

大学入学前に写真をやろうと思うようになり、美大の映像学科に入り、写真コースに進んだんです。そこでいろんな写真家が国内外にいることを初めて知りましたね。そこで驚いたことは、多くの人たちが写真についていろいろ考えているということ。誰もが簡単に撮ることができるものについて、大の大人がいろいろ研究したり議論をしたりしているのを見て、やはり写真には何かがあるんだと。でも、一方で「実は(写真なんか)大したことないんじゃないか?」という思いも持ちながら、学生時代を過ごしていましたね。

平野太呂平野太呂

写真を撮り続けていくなかで、その「何か」は見えてきましたか?

今も答えは出ていないですね(笑)。自分のなかでは、大学の頃に疑問に思っていたことを、今実践しているという感じです。

これだけ続けていること自体、やはり写真には「何か」があるということだと思いますが。

そういうことにしておかないとヤバいですよね(笑)。どんどん年を重ねた後で、やっぱり何もなかったってなったら怖いですからね。だから「何か」あったことにしたい(笑)。

先日リトルモアから出版された作品集『ばらばら』について、お話を聞かせてください。この作品集はSAKEROCKの星野源さんとの共作ですよね?

はい。元々は源くんからもらった話なんです。源くんはSAKEROCKとは別に、弾き語りのライヴとかもしているんですが、それを気に入っていたある編集者の方が、源くんのソロを作品にしたいと持ちかけたらしいんです。でも、源くんはソロとしての音源発表には抵抗があったみたいで、今回のような本で出すというカタチに行き着いたらしいんです。そのときに源くんが『POOL』の写真を思い出してくれたみたいで一緒にやりませんかと声をかけてくれたんです。

平野太呂平野太呂

平野太呂

もともと星野さんとは付き合いがあったんですか?

はい。僕が暗室を持っているビルの2階にSAKEROCKが所属しているレーベルがあるんです。元々そことは付き合いが長かったんですが、SAKEROCKの作品もそのレーベルから出ることになって、その頃からに知り合いました。それ以来、SAKEROCKのアーティスト写真やポスターの撮影をしているんです。

『ばらばら』の作品はすべて撮り下ろしなのですか?

半分はこれまでに撮り貯めていたもので、残りの半分は撮り下ろしました。源くんがソロでやっている音楽ってスゴく“個人”でやっている感じが強いんです。僕が以前に出した写真集『POOL』は、本を作りたくて撮影を続けていたんですが、何の目的もなく撮影する写真ももちろんある。今回はそういう作品を集められるチャンスだと思ったんです。発表することを前提にしていない曲と写真が並べられている感じが面白いんじゃないかと。

作品集では、平野さんの写真と星野さんの歌詞が並べられていますが、関連があるようでないような、不思議な関係性がありますね。

源くんの詞に僕がイメージをつけるワケでもなく、僕の写真に源くんが味をつけるワケでもなく、それぞれが独立して存在しているような本を目指しました。だからタイトルも『ばらばら』が良いなと思ったんです。

いわゆるクリエイター同士の“コラボレーション”とは少し違う印象がありますね。「化学反応」や「相乗効果」をあえて求めないというか(笑)。

それぞれの作品を横に並べてみたというだけで良いと思うんです。その方が見る人も自由に捉えられますからね。押しつけがましい感じにはしたくなかったんです。そういう表現の仕方が2人の共通するところかもしれません。源くんは、歌を歌う時になるべく抑揚をつけずに平坦に歌うらしいんです。そういう感覚は僕もスゴくわかるんですよね。

平野さんの場合、それは抑揚のない写真を撮るということですか?

癖とか好みの問題になってくると思うんですが、なぜかそうしてしまうんですよね。写真における「抑揚」って、例えばある被写体を撮る時に、下からあおるように撮ったり、アングルに変化をつけたりする「作り手の工夫」のことだと思うんです。でも自分はそういうことはせずに、ストレートに撮ることがほとんどで、それはもう癖なんですよね。工夫した写真って、撮影した人間の意図ばかりが目立ってしまって、そこから先がないような気がして、撮ってても面白くなくなってしまう…。元々自分を強く主張するのが苦手なことも関係しているのかもしれませんが。

平野太呂

フラットにモノを捉えていきたいということですか?

できればありのままを撮りたいんですよね。たとえば僕は、あるモノを見る時にそれが写真になるとどうなるかという想像をするんです。こうなるだろうというイメージはできるんですが、それがそのまま写真になるワケではなく、レンズを通すことで人間の目とは少し違った感じに映るんです。ホントは自分の目で見たモノをありのままに撮りたいんだけど、その“ズレ”が面白かったりもする。現実とわずかにズレている感じが好きなんです。

『POOL』の写真も、アングルを変えずにありのままを映そうという意識が感じられます。

そこにあるものを撮っているだけなんです。今回の『ばらばら』も一緒。『POOL』は、スケートボードという自分のバックボーンから派生した作品だったこともあり、今回はまったく違うものと捉えられがちですが、ファインダーを覗いている時の気持ちは全く同じなんです。

平野太呂

『POOL』は、元々スケーターでもある平野さんのバックグラウンドがあるからこそ生まれた写真集だと思いますが、それを知らない多くの人たちからも支持を集めましたよね。

やはり、スケーターカルチャーを知っている人だけに向けたものでは、ああいうカタチでは出せないですよね。より多くの人たちが受け取ってくれると思ったから出せたというのはあります。元々『relax』の取材で撮影した写真を、当時の編集長が気に入ってくれたのがきっかけなんです。その人もスケーターカルチャーの中にいた人ではなかったんですが、そういう人が見ても面白いと思ってくれるんだと思って、やってみようと決めたんですよ。1冊目の写真集で、自分のバックグラウンドにあるカルチャーを内包しつつ、そういうものを知らない人にもアピールできる本が作れたことはスゴく大きかったと思います。

写真を撮影する上で、スケーターというバックグラウンドはどのくらい影響しているのですか?

ほとんどないんじゃないかと思います。スケボーを撮るために写真を始めたワケでもないですからね。ただ、スケボー専門誌で撮影をしていた時からの「癖」はあるかもしれません。スケボーの写真って、スケーターがどこから飛んできて、どこへ着地するのかを一枚で説明しないといけないんです。だから引き気味の構図になることが多い。だから雑誌のポートレート撮影の時に、引き過ぎと言われることがたまにあります(笑)。足の先までしっかり入れたくなっちゃうんです。

(笑)。平野さんはそうした雑誌での撮影なども積極的にやられていますが、仕事以外では、どういう時にシャッターを押したくなるのですか?

僕、普段はあまりカメラを持ち歩かないんですよ。毎日持たなきゃと思っていた時期もあったんですが、やっぱり放してしまうんですよね。大きいから移動に不便だったりして。そんなので良いのかなとたまに心配にはなりますけどね(笑)。

平野太呂

では、写真を撮る時は日常とは少し違うテンションなんですか?

そうかもしれないですね。カメラを持っていない時は、写真を撮る目になっていないんですよね。逆にカメラを持っていると気になる風景が見えてくる。そんなことで良いのかなとは思うのですが…。生きていること自体が「写真」という感じの方は、朝起きた時から作品作りが始まっているのかもしれないですが、僕はどうやらそういうタイプではないようなんです。あるテーマを決めて、それを撮るサブジェクト主義の作家であると、先日写真評論家の飯沢耕太郎さんに言われたんですが、僕みたいな写真家は作品作りにとても時間がかかる。テーマが見つからないと撮れないですし、それがスゴく遠くにある場合、出掛けていかないとならない(笑)。

どういった時にテーマが見つかるのでしょうか?

例えば前回の『POOL』の時は、バックグラウンドであるスケーターカルチャーを内包できるし、自分が好きな70年代アメリカのニューカラーの雰囲気も出せるし、さらに一般の人たちにも見てもらえるんじゃないかというのがあった。そういう根拠が3つくらい重なるといけるんじゃないかって思うんですよね。今自分がやっている「NO.12 GALLERY」の企画展も割とそういう感じで、この時期にこの人たちとこういうことをしたら面白いんじゃないかというのがポイントになっています。ただ、なかなか簡単に巡り会えるワケではないんですけどね(笑)。

平野太呂

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