
KOSUKE TSUMURA | 津村耕佑 | Fashion Designer
都市をサバイブするための「FINAL HOME(=最後の家)」として、非常食から衣料キットまで、あらゆるものを収納できる一着のナイロンコートを考案し、ファッションとデザインの関係性に一石を投じてから、すでに十余年。それ以来、津村耕佑はジャンルを越境する精力的な活動を展開し、クリエイティヴシーンにおいて、特異な立ち位置を築いてきた。07年に入っても、雑誌『ART iT』での連載企画から生まれた展覧会を開催し、さらには『FINAL TIMES』というフリーペーパーも発行するなど、その活動はボーダーレスに広がっている。そんな彼は今、この時代とどのように向き合い、何を想っているのだろうか? そして、閉塞感漂う現在のファッション業界に身を置きながら、彼が見据える将来のビジョンとは?
Text:原田優輝
まず始めに、津村さんがファッションデザイナーを志したきっかけを教えてください。
僕らの世代は、ちょうど(三宅)一生さんを始めとする日本人デザイナーがヨーロッパで活躍しているのをずっと見てきた世代なんです。ファッションデザイナーになりたいと思うようになったのも、そういう方々への憧れが大きかったですね。
自分も偉大な先人たち同様に、ヨーロッパの舞台で勝負をしたいと?
最初はそういう気持ちが強かったですね。でも、日本人デザイナーがパリに行くことが多くなり、パリコレのメディアとしての構造や戦略がわかってくるうちに、疑問も生まれてきた。パリコレを盛り上げるためにわざわざ渡航費を払って出向くのではなく、今自分たちがいる場所(東京)が楽しい現場にならないと面白くないんじゃないかというように考えるようになってきたんです。

寒さをしのぐため、ポケットに新聞紙を詰めれば防寒着に、あらかじめ非常食や医療キットを入れて災害時に着れば非難着になるなど個人の用途に適応できる服をコンセプトとし、「FINAL HOME」と名付けられたナイロンコート。
最近は、東京が世界から注目を集めることが増えてきていますよね。
そうですね。先日、パリで開催された「ジャパン・エキスポ」というイベントの記事を新聞で見つけたんです。そこでは、ラフォーレ原宿系のブランドなどがファッションショーをやったらしく、立ち見が出る程の大盛況だったそうです。東京ガールズコレクションもそうですが、今まで僕らの先輩たちが、ヨーロッパの文化をリスペクトしつつ、超えようと努力してきたことが、ここへきて一気に覆されている感じが、最近スゴくするんです。はたして、従来の戦い方が、今本当に有効なのかと考えるようになりました。今、海外から注目をされている東京のカルチャーは、元々ヨーロッパに対する憧れから生まれたものだと思うんです。それを過剰に表現したことで、本場ヨーロッパの若者たちを惹き付けている。そこにはひとつのネジレ現象が起きていると思うんです。これからはそこにもっと注目していくべきなんじゃないかなという気がしています。
確かに「過剰さ」というのは今の日本のひとつの特徴かもしれません。元々、ヨーロッパ文化と同じベクトルでスタートしたハズのものが、過度に突き詰めていくことで、まったく違うベクトルになっている感じはしますよね。
それはあると思います。もっと身近な例で言えば、埼玉や千葉の若い子が、東京に憧れるがゆえに、ファッション誌からの影響を受け過ぎて過剰にオシャレなことがよくあります。海外から見た今の日本というのは、それに近い感覚なのかもしれません。“限りなく近い地方都市”というのが、結果として面白がられ、受け入れられている。
先ほどお話に出た東京ガールズコレクションは、その象徴的な例かもしれないですね。その一方で、JFWを中心とする、いわゆる王道のファッション業界の動きには、果たしてどこまで世界を惹き付ける要素があるのかは、少し疑問に感じます。
僕は内側にも足を突っ込んでいる存在なので、微妙ではあるんですが、できれば一寸法師のような戦法で、腹の中に入って、内側からシステムを批判することも大切なのかなと思っています。
今のファッション業界のシステムに疑問を感じることはありますか?
やはりありますね。ファッションに限らず、それぞれの業界には協会のようなものがあると思うんですが、ファッション業界の話をすると、その制度が疲労してしまっている感じがします。繊維産業自体が古い形態の産業であることや、川上から川下までさまざまな業種が複雑に絡み合っていることなどもあり、なかなかスッキリしない感じがあるんです。また、ピュアであるがゆえにデザイナーが利用されているという現状もある。そういう構図を一新したいという気持ちはあるんですけどね…。

宇川直宏氏とのコラボレーションで制作されたウエア「GRAND STAGE」。姉歯元建築士の偽装設計とされた「GRAND STAGE池上」(後にこれは嘘であることが判明)の外壁一部を無数に細胞分裂させたグラフィックで作成されたテキスタイルでできており、ワッペンの内部には、同じく建築問題となったアスベストを真空パックして縫包している。
端から見ていると、日本のクリエイティヴシーンのなかで、ファッションとその他のクリエイティヴが断絶されている気がします。ファッションと、アートやグラフィックデザイン、音楽などの繋がり方が少しイビツというか。コラボレーションという話はよく聞きますが、それらが本当の意味で同列に並んでいると、そうでもない…。
確かに、仮にコラボレーションをするにしても、ファッションブランドがクライアントとなり、アーティストに発注することがほとんどで、同列で何かをやろうという動きはあまりないですよね。クリエイター同士がリスペクトしながらというよりは、「クライアント」と「下請け」という関係が出来てしまってるいる気はします。“売るため”の表現しかできない状況で、予定調和的な落とし所しかなくなってしまっている。それが、現在のファッションに面白みが欠けてしまってる原因のひとつかもしれません。
そういった状況のなかで、FINAL HOMEは独自の提案を続けてきたと思うのですが、最近ではフリーペーパー『FINAL TIMES』の発行を始めたそうですね。
はい。ブランドがこういうものを出す場合、通常は自社の宣伝がメインになると思うのですが、個人的にはブランドの宣伝をするという行為が、時代とリンクしていない感じがしていて。企業の利益追求に寄り過ぎてしまうと、どうしても思考が閉じてしまう。それよりも、自分たちからもアクションを起こして、メディアの状況を変えていきたいという想いが強いんです。今は、ファッション誌や評論家の立ち位置が固定化されていて、メディアの価値観にデザイナーが左右されているという現状がある。でも、インターネットも発達した今は誰もが、自らがメディアとなり発信できる時代なんです。特にFINAL HOMEは、メディアとしての側面もあると思っていて。自分たちは、「都市をサバイバルするための服」というコンセプトからスタートして、「ファッションとは何か?」「デザインとは何か?」「道具とは何か?」ということを考えるためのひとつのケーススタディとしてやってきた意識がある。あくまでもそれらの活動のアイコンとして、ウエアが存在しているというか。


FINAL HOMEの自社メディアとしてスタートした『FINAL TAIMES』。第1号では、『WHOLE SURVIVORS A to Z』と題し都市生活をサヴァイヴするためのAtoZを特集した。
ここまで一貫したコンセプトを押し出していくことは、トレンドを提案していかなくてはならないファッションブランドとしては、足かせになることもあるのではないですか?
確かにそれは否めません(笑)。ただそこを譲ってしまうと他のブランドと一緒になってしまいますからね。やはり、僕らにとっては、コンセプトというひとつの盾は必要で、それがあるからこそグローバルにコミュニケーションができると思っています。従来のファッションビジネスは、ブランドというものがまずあって、例えばブランドロゴのようなものがひとつの盾になってきたと思うんですが、これから先果たしてどこまでそれが有効なのかは疑問です。ビジネスとして考えると、商標がない限り差別化ができないという問題もあるのですが、結局そこに縛られていることも多いですしね。むしろ、もっと緩いつながりの中で、あるコンセプトに基づいたプロジェクトチームが、その時々によって組まれ、開発がなされるような仕組み作りが重要なんじゃないかなとか思ったりするんです。
それが先ほどの「コンセプトを盾にする」ということなんですね。
はい。もの作りという行為はもちろん経済活動のひとつなんですが、大量生産大量消費のシステム自体が、全世界的な疑問になっていますよね。そういう世の中になってきたからこそ、ひとつの行為に対して色々語れることに価値が出てくる。考え方ひとつで同じものがフレッシュに見えたりするワケですからね。


アート雑誌『ART iT』にて、05年からスタートした連載「津村耕佑 妄想オーダーモード」を書籍にまとめ、さらに未収録写真、新規テキストを追加収録した『FANTASY MODE』。大量生産大量消費のシステムに代わるアイデアとして、「オーダーメイドを特定の人物に、こちら(デザイナーサイド)からお願いに行く」ことを発案。自身の“妄想”を手がかりに浮上した候補者(お客様)へのプレゼン/対談を経て、世界にたったひとつの服の制作をするという試みが続けられた。
ファッションに限らず、様々な分野で活動をされていますが、ご自身ではファッションデザイナーとしての肩書きを意識しているのですか?
最近、あえてファッションデザイナーという立場を示すことで、思惑が浮き彫りになるかなと思っています。アーティストと名乗ってしまうことは簡単。でも、それだと「あの人はアーティストだから何をやっても良い」と見られてしまうし、そこには何の疑問も議論も生まれない。でも、ファッションデザイナーと名乗っていると、「デザイナーなのにこんなことやって」という疑問符が生まれる(笑)。じゃあ、「ファッションデザイナーって何なんですか?」ということになる。自分は元々ファッションからスタートしたワケだから、それを考えていくってことが大事だと思っています。今の専門学校生なんかも、「デザイナーになったら、ファッションショーをやる」という固定化した未来像しかない。それは、ちょっとヤバいんじゃないかなって思うんです。

深澤直人氏のディレクションにより、21_21 DESIGN SIGHTで開催された『チョコレート』展への出品作品。遭難時にチョコレートを食べ、生き長らえたというエピソードをもとに製作したチョコレート型キャンドル。サバイバルグッズからパーティーグッズまで様々な用途を持つ。
「?」を起こさせるアクションが大切ということですよね。
デザインやアートはそれなくしてはあり得ないじゃないですか。フレッシュなことをやるということは、既存の価値観を壊すということですからね。それは常に投げかけていきたいですね。若者もそれを期待してるでしょうし、それをやっていくことも必要ですからね。玉砕はしたくないですけどね(笑)。
最後に告知等があればお願いします。
六本木の21_21 DESIGN SIGHTで、東京で活動しているファッションデザイナーらを集めた「THIS PLAY」という展覧会を開催中です。タイトルは、「ディスプレイ」から取った造語です。通常「ディスプレイ」といえば、ショーウィンドウに商品を並べることなんですが、今回は、一方通行だったウィンドウディスプレイとお客さんのコミュニケーションを考え直して、お互いにもっと積極的に関わり合いましょうというプロジェクトなんです。

『THIS PLAY』展は、9月11日から24日まで、21_21 DESIGN SIGHTで開催中。





