
HISASHI TENMYOUYA | 天明屋尚 | Artist
伝統的な日本画の手法を用いながら、ストリートカルチャーを始めとする現代の様々な事象をモチーフに取り込み、世を辛辣に皮肉るアーティスト天明屋尚。自らを「カウンター」と称し、あらゆる権威や既成概念に戦いを挑むその姿は、さながら現代のサムライだ。そんな彼が、自身4作目となる作品集『KAMON』をリリースした。この作品集は、グラフィックデザイナーとしてのキャリアも持つ天明屋の経験が反映された、これまでとはひと味違うものとなっている。「アート」「デザイン」といった枠組みをも破壊するかのごとく、FIFAワールドカップの公式ポスター制作から、松本人志監督『大日本人』のデザイン協力まで、幅広い領域で活動する反抗の“絵師”天明屋尚に話を聞いた。
Text:原田優輝
美術家として活動を始められるまでの経緯を教えてください。
絵を描く仕事をしていきたいという想いはずっとあったのですが、食べて行く為の手段として考えられたのは、デザインでした。最初は広告代理店に入ったのですが、入社一年目で何か違うと思ったんですよね。当たり前なのですが、依頼される仕事と自発的に作ることは根本的に違っていて…。その後、会社を辞めて絵だけで食べていこうとしたのですが、半年も持たず、またデザイナーの仕事を探したり…。そんな感じでしばらくやっていましたね。
その後、雑誌の連載でアートワークを発表するようになったあたりから注目を集め始めましたよね。
そうですね。『BURST』という雑誌の巻頭連載を2、3年間担当したんです。発表の場が雑誌だったこともあり、単なるイラストレーションと思われがちですが、「誌上芸術」というコンセプトで制作していました。ホワイトキューブだけで見せるのが芸術ではないと。同時期に原宿の貸しギャラリーで個展をやって、その時にアート関係の人とたまたま知り合えて、その頃を境に広がっていきましたね。当時は雑誌連載を月2本抱えながら、平行して大画面の作品も制作していたので、一番忙しかった時期かもしれません。
その頃から、現代のエッセンスを取り入れた日本画を描いていくという作風は変わっていないのですか?
シリーズごとにマイナーチェンジはしていますが、基本的な作風は昔から一貫しています。


(左)「The American Effect」(2001)、(右)「Hip Hop and Contemporary Art」(2001)
Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery
日本画に出会ったきっかけを教えてください。
小さい頃にたまたま日本画を習っていたことがあったんです。当時は特に意識していたわけではなかったのですが。現在のような作風の絵をしっかり描くようになったのは23歳くらいからなのですが、ずっと(日本画が)記憶の片隅にあったようです。
日本画の歴史や伝統的な技法、流派などを踏まえた上で、ご自身やその作品を「ネオ日本画」「武闘派」「画強」などと称されていますが、そのあたりのこだわりについて教えてください。
やはり、(日本画が)この国固有のものという意識が強いんですよね。西洋画のようなものを日本人が描いてもウソくさいなと思いますし。ただ、現代の作品としては、「今」が入っていないと、どうしても古臭いものになってしまいますよね。たとえば、ただ「武士道」と謳ってみても当たり前すぎる。海外に持っていくことを考えてみても、その部分をもう少し掘り下げた自分だけの表現をしたいという想いが強かったので、それが現在の作風にもつながっているのだと思います。

「Japanese Spirit #1」(1997)
Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery
日本画の伝統的な技法も忠実に踏襲しているのですか?
そうですね。輪郭線の描き方などは日本画独自の表現を再現しているといえるでしょう。金箔地に描いたりや、下図を元に時間をかけて正確に描いていくところなども同じだといえます。一方で、画材などは新しいモノも使っているし、日本画のマナーを結構崩しています。要は、絵に向かう姿勢自体が日本画的なんだと思います。例えるなら、日本を憂い、床に画面を置き正座をして制作するとかですか。
家紋をモチーフにした作品集『KAMON』をリリースされたばかりですが、元々家紋には興味があったのですか?
あまり意識はしていなかったのですが、仕事として家紋のようなデザインはこれまでにも何度か制作していました。今回、いろいろ意識して(家紋を)見るようになったのですが、家紋集なんかを見ていると、思った以上にバリエーションがたくさんあり驚かされました。
今回の作品はデザイン的な意識で作られているのですか?
完全にそうですね。元々デザインをやっていたこともあるので、そういう作業もあまり苦にならないんですよね。デザイン的におもしろいかどうかということを基準に、今までにない新しい家紋を作るという意識でやりました。デザイナーをやめてからだいぶ期間が経っているので、久しぶりにデザイナー的な頭を使った感じがして楽しめました。

『KAMON 天明屋尚』より。
作業はPCでやられたのですか?
はい。最初に手描きのスケッチをスキャニングして、その後はIllustratorを使って制作しています。ペインティングの作品を作るときも、同じようにPC上でトリミングしたりしながら構図を決めていくこともあります。僕にとってコンピュータは筆や絵の具とあまり変わらず、道具として使っています。
今回の作品のなかには、ファッションブランドのモノグラムのようなデザインもあって興味深かったです。
実際にファッションブランドのために作った作品も収録されています。その他のものは、特にそれを意識しているわけではなく、結果的にそうなった感じです。今回のシリーズに関しては、皮肉とかは何もなく(笑)、純粋にデザインとして作っていますね。ページレイアウトも、ただ家紋をひとつ描くだけでは物足りないので、ページ単位でデザインをしていきました。
ペインティング作品などでも、グラフィックデザイン的な感覚を生かしている部分はあるのですか?
ありますね。例えば、あるモチーフを画面に入れる時、中央に大きく配置すると安定感が出たりしますよね。それを横に寄せて小さく配置してみると余白が生まれて、いかにも日本画的な感じになる。そういうことを考えながら構図を決めているので、その辺はデザイン的な考え方なのかもしれません。デザイン的感覚といえば、依頼されてする仕事=デザインと強引に結びつけて考えてみると、昔の日本の絵師、例えば狩野派などは、幕府からの依頼で制作をしていたわけですし、西洋の宗教画だって教会から依頼されて描いていた。現在アートと呼ばれているものも、元々はそういうところから始まっているんですよね。

『KAMON 天明屋尚』より。
作品集の後半には、ペインティング作品も収録されていますね。
去年出した作品集には載っていない最近の作品が入っています。ギャラリー未発表の作品などもありますね。
天明屋さんの作品にはあるテーマに沿ったシリーズ作品が多いですよね。
いつも個展のテーマを決めて、基本的にはそれに沿って作っていきます。例えば、刺青の彫り師さんと話しているところからテーマが生まれたり、以前から自分が描きたいと思っていた題材だったり。今年はこの路線で打ち出してやろうという感じで、マイナーチェンジをしていくというか。だから、ファッションブランドのコレクションみたいな感じなのかもしれません(笑)。
作品のモチーフには、「入れ墨」「暴走族」など、一般的にアウトローとされているものが多いのですが、そういうものに魅かれる部分があるのですか?
別にそれらのモチーフを“アウトロー”として見ているわけではありません。例えば刺青の彫り師さんたちと話をしていると、本当にストイックで職人気質なんですよね。ただ描くキャンバスが身体になっているだけで、その精神性は昔の日本画家に近い部分があると感じます。江戸時代の日本では罪人に入れ墨をするという風習があったせいもあり、今でもネガティブなイメージを持たれているのかもしれませんが、アイヌやアボリジニが顔に入れ墨をしていることからもわかるように、本来は人間の変身願望や、呪術的な意味合いから生まれたものです。アウトロー的な側面ばかりがクローズアップされますが、もっと純粋に精神性や芸術的な部分で考えても良いんじゃないかなと。


『KAMON 天明屋尚』より。
(左)「龍神来迎図」(制作途中 / 2007)、(右)「反骨諷刺絵巻2006 孤高の侍編」(2006)
なるほど。作品には、そうした世間の誤った認識や歪んだ視点に対する「カウンター」「批評」「皮肉」などが込められていますよね。
自分自身がカウンターだと思っているから、そういう表現をしているのだと思います。基本的に斜に構えるタイプなんですかね。ストレートに見せながら少し変化させるといったような表現が多いですね。でも、とにかく自分が見たいものを作っているだけなんですが。もちろんギャラリーで作品を展示する時点で、第三者のことも意識しているのですが、逆にそこを意識しすぎてしまうと、媚びている感じが出てしまう。そのさじ加減がむずかしいといいますか。
日本画のフォーマットを踏襲したり、雑誌媒体で作品を発表されたりしてきたこれまでの活動には、現代アートの文脈への批判も込められているのですか?
それは多分にありますね。現代アートは、みんな欧米主導の文脈で語ろうとするので、日本画なんて最初から外されているといいますか…。しかし、北斎などの浮世絵作品は欧米でアートにまで昇華していますけど。海外に媚びたくないという想いや、日本的な表現を認めさせたいという気持ちなどがあり、常に自問自答している感じです。

「BUNSHIN」(2005)
Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery
天明屋さん自身は、現代アートの流れをどのように見られているのですか?
デュシャンが便器を「泉」と言ったレディメイドという概念以来、視点が全く変わったと思います。ただ絵が上手いとかそういう時代ではなくなってきていて、新しい概念や時代性などを提示する作品を発表するという流れに基本的にはなっていますよね。でもそれはトリックといいますか頭の体操的なもののようで、「美」たるものの本質がすり替えられている気がしないでもない。皆、レディメイドの呪縛にとらわれ抜け出せない感がある。それが、現代美術における新しい視点での「美」であることはもちろんなのですが、本来の「美」というのは、例えば、その絵の前に立った時に、圧倒的な感動を喚起するものだと私は思いたい。本来の「美」とデュシャン以降の「美」の両方をプラスできたら最強なのかもしれませんね(笑)。
美的感覚というのも時代によって変わってくるものですよね。
そうですね。でも、例えば黄金比のようなものは普遍的だと思うんです。100年や200年といった長いスパンで考えてみると、現在評価されている表現もどうなるかわからないと思いますし。美術や音楽は、時代が変わると大どんでん返しが起こることがある(笑)。死んだ後に評価が変わっていくこともありますからね。
『KAMON』はプチグラパブリッシングより発売中。









