
KOSHI UCHIYAMA | 内山光司 | Creative Director / Web Director
インターネットが普及する以前に、電通にデジタルコンテンツ部門を設立し、Webプロモーションにおける第一人者として、数々の印象に残るWebキャンペーンを仕掛けてきた内山光司。古くは、SMAPを起用し、TVCMとWebサイトを連動させたアプローチで話題を集めたNTT東日本「ガッチャマン」キャンペーン(1999)から、近年では、渋谷の街に巨大な影のインスタレーションを展開した「BIG SHADOW PROJECT」(2006)、そして、ユーザー自身の動画にセルジオ越後と松木安太郎が実況してくれる「実況ジェネレーター」(2007)まで、常に時代の一歩先を読んだ斬新なアイデアを提案し続けてきた。06年にGT INC.を設立、そして、07年にはグローバルな展開が期待される新しいカタチのクリエイティブ・カンパニー、スーツメン・エンターテイメントを立ち上げ、今なおとどまるところを知らないそのパワフルな活動の源泉を探るべく、GT INC.のオフィスにて内山光司を取材した。
Text:原田優輝
まず始めに、Webとの出会いについて教えてください。
84年に電通に入ったのですが、若い頃はCI、PR、映画、イベント制作などをやっていて、どちらかと言うと王道の広告を作るというよりは、当時はまだ新しい手法だったイベントと絡めた広告展開などや、ニューメディア的なことを手がけていました。80年代の終わりに、企業向けのビデオ・マガジンの編集をする機会があり、マーケティングやデザインの最前線を取材するようになったのですが、そこでアメリカにインタラクティブ・エンターテインメントという概念があることを知ったんです。それが自分にとっては大きな転機になりました。
それはどういった概念だったのですか?
それまで主流だった“情報の押し付け”とは違い、文字通りユーザーも参加できる双方向性を持ったコミュニケーションの考え方です。当時はまだインターネットもなくて、やっとMACが出てきたくらいの時期だったのですが、自分で触って関与できるものがエンターテインメントになっていく仕組みが面白いと思ったんですね。自分は広告屋として、コミュニケーション・ビジネスをやっているわけですが、その視点から考えても大きな可能性を感じたんです。
まだインターネットがない時代に、どのようなアプローチでインタラクティブの概念を持ち込もうとしたのですか?
当時はCD-ROMが主流だったので、企業発のCD-ROM用コンテンツやゲームソフトを作ったりするようになりました。その頃からインタラクティブ・コンテンツについて、自分なりに色々考えるようになり、90年代初めには、JR東海の「そうだ 京都、行こう。 」キャンペーンのCD-ROMで通産省から賞を頂いたりもしました。そうこうしているうちに、インターネットが普及してきて、活動のフィールドが広がっていったんです。ちょうどその頃、アメリカで開かれたカンファレンスに参加し、ビル・ゲイツとサシで話をする機会に恵まれたことも大きかったですね。
それはスゴいですね! ビル・ゲイツとは具体的にはどんな会話をされたのですか?
まず、インターネットの出現によりコミュニケーションがどう変化していくのかを僕らなりに予想し、一枚のチャートにまとめたものを見せながら話をしました。そして、彼に「誰でも簡単に好きな情報にアクセスできるインターネットというメディアの出現で、未来の広告はなくなるんじゃないか?」というようなことを聞いたんです。そこで彼は、「広告はなくならないが、カタチは変わるだろう」というような話をしてくれた。わずか5分程の短い時間だったのですが、真剣に僕らの話を聞いてくれて、最後に「このチャートを持っていっていいか?」と言ってくれたんです。その時に、自分が考えていたことは間違っていなかったという確信を持つことができ、この世界でやっていこうと心に決めたんです。
「GATCHMAN」NTT東日本(1999)
これまでに手がけてきた仕事のなかで印象に残っているものを教えてください?
99年にNTT東日本の「ガッチャマン」キャンペーンに参加したのですが、その時はTUGBOATの多田琢君がTVCMを、GT INC.の社長である田中徹がクリエイティブ・ディレクションを、僕はWebを担当したんです。今では当たり前になりましたが、CMでガッチャマンに扮したSMAPが大暴れし、その続きをWebで見れるという仕掛けを作ったんです。そうしたらサイトにスゴいアクセスがあって。その時に、TVとWebは今後さらに近づき、インターネットが広告のメインストリームになる時代が来るなと感じたんです。その後、田中と一緒にGT INC.の前身となるワンスカイという会社を立ち上げました。
インタラクティブメディアの面白さはどんなところにありますか?
映画やテレビなどもそうですが、20世紀までのほとんどのメディアや芸術には、表現者が「オレの表現を見てくれ」という意図で作ったものを、観客が受け止めるという関係性があったと思うのですが、インタラクティブという概念が入ってきたことで、参加者がいることで初めて成立するような表現が生まれてきたと思うんです。そのことが自分にはとても面白く感じたんです。でも実は、日本にはすでに世阿弥の能など、インタラクティブアートと呼べるものが古くから存在していたんです。
能のどのような部分にインタラクティブの要素があったのですか?
彼は、『風姿花伝』という能の奥義書を、父親の観阿弥と一緒に書いたのですが、そこには、「能は書き手と演じ手と観客が一体になって初めて成就する」と書いてあるんです。能における表現とは、その場にいる人の中に浮き上がるイマジネーションのことだ、と。能面が、見る人によって、泣いているようにも笑っているようにも見えるのにも、実はそういう理由があるんですね。そこにはインタラクティブな関係が成立していますよね。そういう文化は日本独自のもので、あまり欧米では見当たらない。例えば、西洋絵画なども元々は、文字を読めない人たちに聖書の教えを伝えるためのメディアとして機能していたので、ひとつのメッセージをより広く正確に伝えることを目的としているんです。だから、見る側の事情はシャットアウトする必要があった。イギリスの演劇論なども、能の概念とはまったく違い、自分の感情をいかに表現するかという部分に焦点が当てられていますからね。
「ロクロでオーナーメード」SONY VAIO(2007)
SONY VAIOの「あなたとつくる、あなただけのVAIO。」というコピーから発想された「ロクロでオーナーメード」。ユーザーがカタチや色を自由にカスタマイズして、ロクロで「焼きもの」を制作することができる。
インタラクティブについて考えるには、ユーザーのリアクションを事前に予測することが大切だと思うのですが、どのようなポイントに気を付けていますか?
法律用語で、「未必の故意」という言葉があります。例えば、自分では殺す気はなかったけど、ある行動の結果殺してしまうかもしれないという、故意かどうかがわからない状態のことです。自分がモノを考える時には、この「未必」の経験を、どれだけ自分のなかで予測できるかを大切にしています。「経験するかわからないけど、経験してしまうかもしれないこと」とでも言いますか。それをデザインにどう落とし込んでいくかがポイントです。ここで言う「デザイン」とは、もはやグラフィック・デザインの文脈ではなく、ユーザーが何を選択し、どう考え、どんな行動をとるかということを予測していくことなんです。なかなか完璧にはできないですけどね。
その予測力はどのように培われていったのでしょうか?
第一には「経験」でしょうね。あとは、「どこから盗めるか?」ということも大切です。例えば、映画を見ていたり、ゲームをしている時に、「なぜそれがこうなっているのか?」を考えることは、クリエイターとして大切なことです。映画のカット割ひとつとっても、そこには必ず理由があるはず。分かりやすい例で言えば、ホラー映画などで、窓の外に影を映してそちらに視点を集めておいて、反対から何かが飛び出すというような演出も、監督が観客の心理を考えた上で生まれているものですよね。そういうヒントになるものはいろんなところに転がっていて、それをどれだけ掘り起こして、肥やしにできるかということが重要なんです。
ゲーム「BLUE DRAGON」より。(C)2006 BIRD STUDIO / MISTWALKER, INC. All rights reserved.(C)2006 Microsoft Corporation. All rights reserved.(C)2006 BIG SHADOW PROJECT COMMITTEE
新しいプロジェクトに取りかかる時は、どのようなところから考えていくのですか?
自分の場合はアートをやっているわけではないので、クライアントが何をしたいのか、さらに言うと、マーケティング戦略として何を強調する必要があるかというところから必ず考えるようにしています。どんなにおもしろいアイデアが浮かんでも、それがマーケティング的に効果的ではなかったり、商品と関係なかったら意味がないと思うんです。その商品の良い面がどうすればメッセージとして伝わるかを考えた上で、ユーザーに関心を持ってもらえるようなキャッチーなアプローチを考えていきます。例えば、06年にやった「BIG SHADOW」というプロジェクトも、影のインスタレーションというアプローチが最初にあったのではなく、宣伝するゲーム「BLUE DRAGON」の主題として影というものがあり、それをどうすれば強烈にアピールできるかというところから発想した結果なんです。
「BIG SHADOW」のように話題になるキャンペーンを仕掛ける上での“肝”のようなものはありますか?
それがわかっていれば仕事がもっと楽になると思うんですけどね(笑)。あえて言うなら、「前例のないことをする」ということですかね。「BIG SHADOW」に関しても、影を使ったインスタレーション自体は、メディアアートの手法としてはそれほど目新しいものではないのですが、それを広告的にアレンジして、いかにわかりやすくキャッチーに見せるかということが重要だったんです。それが、ゲームに出てくる竜の影が、街中にドカンと大きく映し出されるというアイデアでした。こうしたアプローチを広告のフィールドでやることがひとつのポイントだと思っています。自分の場合は、アートのエッセンスと広告的なギミックを交差させて考えることが多いかもしれません。
ビデオカメラでキャプチャした人の姿をプログラムにより変化させ、その影をプロジェクターで渋谷のビルに投影させるというゲームソフト『Blue Dragon』の屋外型広告キャンペーン「BIG SHADOW」。(C)2006 BIRD STUDIO / MISTWALKER, INC. All rights reserved.(C)2006 Microsoft Corporation. All rights reserved.(C)2006 BIG SHADOW PROJECT COMMITTEE
メディアをミックスしていくことは内山さんの得意とするところですよね。単体では新しくないものも、ミックスすることで新たな価値が生まることもあります。
そうですね。でも、移り変わりの激しいWebの世界では、それもなかなか難しいことなんです。あまり早くやりすぎてしまっても話題にならないし、遅すぎてももちろん良くない。タイミングが非常に重要です。例えば、1年半前くらいには、YouTubeで何をするかということを考えていましたが、今バズムービーとしてそれを使っていくというのはもう難しいですからね。
常にアンテナを張り巡らせている必要がありそうですね。
そんなに張り巡らせているつもりはないんですけどね。どちらかというと、自分が面白いと感じることよりも、「ネット上でこの辺がザワついてるな」ということを感じ取れるように意識しています。自分の感性については、そんなに信用していない部分もあって、僕の個人的な趣味がポピュラリティを持ち得るかと言われると、そんなに自信はない(笑)。要は、世間がどのタイミングで何を面白がるかということをメタ的に感知するためのアンテナを鍛えていきたいんですよね。
「実況ジェネレーター」SONY(2007)
サッカー日本代表をサポートしているソニーマーケティングによるプロジェクト「Project Blue」の一環として作られた「実況ジェネレーター」。ユーザーの手持ちの映像にセルジオ越後と松木安太郎の実況をつけることができる。
最近手がけられた「実況ジェネレーター」についてもお話を聞かせてください。
これは「ニコニコ動画」にインスパイアされて作った作品です。ニコニコ動画のスゴいところは、なんてことのない映像にテキストが加わることで、面白くなっていくことだと思うんです。それはつまり、元々ある資産に何かが加わることで、その価値が転換されるということですよね。「実況ジェネレーター」では、SONYがクライアントだということもあり、音声と映像を使って、これをやりたいと思ったんですね。そこで、目を付けたのは「ハンディカムを持っている家庭では、子供のサッカーや野球の試合を撮った映像がたくさんあるのではないか?」ということでした。そして、サッカーの映像なら実況だろうということになって。それはもうセルジオさんと松木さん意外にありえませんでしたね(笑)。「ニコニコ動画」や「初音ミク」などのように、自分たちが面白いものを作って、ユーザーを楽しませるという「送り手志向」ではなく、ユーザーに面白いものを作らせるためのツールを提供することが、今一番旬なやり方だと思っているんです。
最後に、今後のご予定などを教えてください。
トーチカという京都のアーティスト集団と一緒に制作したSo-netのプロジェクトが公開されています。So-netの売りが「楽しいSo-net」と「光インターネット」ということもあり、「光があなたを楽しくする」というコンセプトで、ショートムービーを作ったんです。また、昨年新たに立ち上げたスーツメン・エンターテイメントでは、表参道の「ジャイル」という商業施設のために、携帯電話をベースにしたネットワーキングシステムを作りました。スーツメンのメンバーには、僕とGT INC.社長の田中、さらに3人のアメリカ人がいて、L.Aと東京にオフィスがあります。今後は、メディアや国籍にこだわらず展開していければと考えています。
「PiKA PiKA ×So-net」(2008)










