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RINKO KAWAUCHI | 川内倫子 | Photographer

虫、動物、人、食卓、植物、街、空、海、それらが渦のように混ざり合う世界—。
日常のふとした瞬間を切り取った、透明感のある写真で人気の高い川内倫子。昨年は、日系移民のブラジル移住100周年を迎えるプレイベントに抜擢され、日系社会とブラジルの自然や生活、カーニバルなどを撮影。作品をサンパウロ近代美術館で発表し、写真集『種を蒔く/セメアール』に編み上げた。国内では実に3年ぶりとなる今年4月の個展でも、それらの作品が展示されるという。97年にフリーの写真家になってから10年を越えた彼女に、これまでの活動を振り返ってもらいつつ、新作について尋ねた。

Text:白坂ゆり

どんなきっかけで、写真家になりたいと思い始めたのでしょうか?

写真家になるというよりも、自分の見えている世界を写真として見たい。そのために、写真を撮る技術を身に付けたという順序です。フリーになる前にスタジオマンをしていたのですが、その時もまだ写真家になるとは思っていなかった…。

表現方法にはいろいろあると思いますが、その中で写真を選んだ理由は?

子供の頃から、絵を描いたり、文章を読み書きしたりするのも好きでした。写真はメカニカルな部分に抵抗があったのですが、プリント作業が自分の性に合っていたんです。私の場合は、写真を撮っただけでは物足りなくて、プリントを経てようやく「写真を撮った」という気になります。料理のように、手を動かして、考えながら消化する過程、そこから生まれてくるものが好きですね。

写真を撮っている時はどんな状態なのでしょうか?

本能的に撮りたいと思って撮っているのですが、何も考えていないわけでもなくて。瞬間的な判断に、日頃考えていることや無意識的なものが凝縮して出るといいなと思っています。写真集をつくる途中で、ほしい画をねらって撮ることもありますが、構図とか完璧に構成して撮ったりはしないですね。

『AILA』(フォイル / 2004)に出てくる出産シーンなどもそうですが、現象的なこととか、動物とか(笑)、コントロールして撮れるものじゃないですしね。

そう、計算して撮れないところがまた面白かったり(笑)。

川内倫子

フォーカスがボヤけた写真が多いと思いますが、川内さんには「世界がこう見えている」ということなのでしょうか?

生理的な感覚ですね。視力が良くないので、ハッキリしたものだと違和感があって。常にこうボンヤリと見えていて、それを矯正しようとは思わないので。

撮影が終わった後のプリント作業は、川内さんにとってどういうプロセスなんですか?

「なぜ、私はこれを撮ったのか」「自分は何に関心を持っているんだろう」という確認作業になります。加工はほとんどしません。「あ、こんなの写ってた」という発見があったり、自分と対話しながら頭の中を整理する。例えば、夜寝る前に、「今日はあの人とこんな話をしたな」とか1日を振り返るような、反芻して消化していく時間。プリンターから映像として大きく出て来ると、見えてくるものがあるんです。

カタチとして現れることで初めてわかるということですか?

何か気になることがあるから撮っているのだとは思うのですが、最初はその理由が自分でもわかってないんです。すべての写真集が、「なぜ、今これを撮っているんだろう」という地点から始まっています。例えば『花火』(2001 / リトルモア)にしても、3年かけて撮るうちに、「あー、自分はこういうのが見たかったのか」と腑に落ちたんです。

川内倫子

写真を組み合わせる時はどのように決めていくのですか?

プリントしたものを並べて、感覚的に選びながらファイルに入れていきます。少し寝かせてから見ると、「あ、こんな並べ方したのか」と自分でも発見がある。「ここは作為的でイヤらしいな」と思うところなどは変えていきます(笑)。

自分の「確認作業」と、「人に伝えること」のバランスはどう考えていますか?

写真集でも展覧会でも、最初から人に伝えるために作るのではなくて、ギリギリまで自分との対話をして、最後にどこで手を離すかというさじ加減の問題だと思っています。依頼から始まった写真でも、自分の中に見たい、知りたいという思いがないと作品として強くならないし、人にも伝わらないですからね。

これまでの写真集を例に挙げてみると、処女作『うたたね』(リトルモア / 2001)では、直感的に予兆に導かれるように撮っていて、『AILA(アイーラ)』(フォイル / 2004)では、あらかじめ思うところがあって誕生の瞬間などを捕まえに行き、さらに新作の『種を蒔く/セメアール』(フォイル/ 2007) では、すべてを受け止めて混ぜてしまうような、美しいものも通常美しいとされていないものも共存させることを打ち出しているように思いました。

そうですね。ブラジルは混沌とした国だったので、それに負けそうになりながら撮っていたのですが、どちらかというと相性は決して良くなかった(笑)。でも自分の考えている範囲を越えていかないと、1冊にまとまらないので、歩み寄るのでもなく、これが良いとか悪いとか判断するのでもなく、そのままを何とか受けとめようと。『うたたね』は、毎朝起きた時に写真を組み合わせてできていった、「これしかない」という構成なのですが、『種を蒔く/セメアール』では、もっと自分の手から離していこうと。「もうダイブするしかない」という気持ちで撮っているし、自分でも解放されていきたい欲求がありました。

川内倫子

川内さん自身にも変化があったのでしょうか?

「変わっていきたい」「もっと柔軟にいろいろなものを受けとめていきたい」という欲求があるんじゃないかな。自分自身をもっと成長させたいですし。

ブラジルには、下調べや取材から始めて、撮影には3回も通ったそうですね。写真集では、日系移民の人々を起点に、イグアスの滝など、もっと背後にある大きなものに広がっていきますね。

日本人のコミュニティは小さいのですが、ブラジルはとても大きい国。私自身は移民の問題だけを提起したいわけではないので、人間の持つ営みの普遍性とか本能的なこととか、焦点を広いスパンに合わせたかったんです。

川内さんの写真集は常に、生と死、その循環のサイクルについて考えさせられますね。

同じテーマが根底に流れています。なぜ、生まれて来たのか、それは誰もが抱く人類共通の謎。小さい頃に感じたことがそのまま影響しているとも思います。写真は日記のようなもの。絵だと、頭の中で作ってしまうところがあるけれど、写真は現実が写りますよね。自分の内側と外側の世界の接点でもあって、「私は昨日これを見た」という確認ができる。わりと呑まれちゃうタイプなので、常に「私はここにいる」ということを確認しながら、ゆっくりと進みたくて。

川内倫子

では、今『うたたね』を見てどう思いますか?

根本的には変わってないなぁ(笑)。この次の写真集からは、プロの写真家としての意識が芽生えてきたのですが、これは頼まれもしないのに、「作らずには前に進めない」という渇望感から生まれた作品だから、自然と自分が現れ出ている。でもここにはもう戻れないし、毎回違うことにチャレンジしたいので、「ものを作っていくこと」の純度は保ちながら、また次のことを何年かかけてやっていきたいですね。

『Cui Cui(キュイ キュイ)』(フォイル / 2005)は、13年かけて撮った作品だそうですね。

これも無意識に撮っていたものですが、年月を経たことによって発見がありました。『うたたね』が自分の内側と外側の接点の集積だとすると、『Cui Cui』は、自分と社会との接点。自分にとっての初めての社会が「家族」という意味で、一歩外に出た作品です。

川内倫子

FOIL創刊号では、「No War」というテーマで、アフガニスタンに行きましたよね。瓦礫や銃弾痕などの写真とともに、花の写真があって。

世界には、花とか美しいものも、戦争も、生と死もあって、すべては同じ線上にある。混沌としたものを1冊の本にまとめたいという気持ちが常にあるんです。自分の知っている自分では面白くないから、いろいろなものと接点を持ちたい。そうして、結びつけたものを見たいし、その間にあるものに触れたい。受け入れたいと思っているのかもしれません。

写真集は、そんなふうに振り返って見られるのがいいですね。

自身との対話がそこに残っているので、常に時間が流れているなかで、変化したもの、あるいは留まっているものは何か、経験の意味を再考するとまた見えてくるものがあります。今回のブラジルについても、何年か後にまた発見があるのかなと。

次に向けて、今撮っているものはありますか?

撮りたい場所があります。また撮って考えて、人にも伝えられるものになったら発表したいですね。





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