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KOH CHIHARA | 千原航 | Art Director / Graphic Designer

どこか肩透かしを食らったような、それでいてかゆいところに手が届く、独自の感性で、デザインの楽しさを再認識させてくれる千原航バッファロードーターyoga’n'antsメタルチックス梅川良満小田島等など、グラフィック・デザインの枠を超え、個性派クリエイターたちと共鳴しつつ、独自の活動を続け、独立後10年を超えた彼が、立花ハジメ氏のアシスタント時代の話、デザインの話、そして近年取り組んでいる多摩美の講師などでの経験など、数々の興味深い話を語ってくれた。

Text:原田優輝


まず始めに、グラフィック・デザインの道に進んだきっかけを教えてください。

よくありがちな話だと思うんですが、普通に絵を描くことが好きだった幼少期を経て、中学、高校に進むにつれて、だんだん周りの友達と話が合わなくなってくるというパターンです(笑)。音楽や映画の話ができなかったり、笑いのセンスがあわなかったり。美大へ行ったら、そういう話ができる人と巡り会う確率が高くなるんじゃないかと思って、高3 から美大専門の予備校に通い始めました。結局浪人したんですが、一浪目は夜に六本木WAVEというレコード屋でバイトしていました。その頃、年上の従兄弟がMac Plusを持ってたりして、Macでデザインするのが面白そうだな、と感じていたんです。二浪目は受験に専念し、当時Macをいち早く導入してグラフィック・デザインを教えることを売りにしていた多摩美の二部(現:多摩美術大学造形表現学部)に入学しました。というか、ここだけ合格したので(笑)。

Macを使ってデザインをするということにどういった魅力を感じたのですか?

D.I.Y.感覚で誰にでもすぐできそうなところでしょうか。音楽が近くにある感じもしました。特に立花ハジメさん、松本弦人さんは新鮮なグラフィックを生み出していました。その頃の東京の極一部って、デザインも音楽もアートも渾然一体で、自由でテキトーな雰囲気があって、カルチャー的にも面白そうに見えたんですよね。そんななかでこれからグラフィック・デザインがどう変わっていくのかな、ということに俄然興味が沸きました。同時に従来のグラフィック・デザイン、ベーシックな文字組とかにも興味がありました。

千原航

その後、立花ハジメさんに師事するようになりましたが、それはどういうきっかけだったのですか?

入学当初からハジメさんのところに行きたかったんです。音楽やデザイン含めてファンだったので。周りに入る人たちも含めて楽しそうに見えました。ADCを受賞した『APE CALL FROM TOKYO』ポスター(1991)も衝撃的だったし、スパイラルホールでの『DEP’T』展(1993)にも感激してました。デジタルもアナログも関係なくセンスの固まりじゃないですか。軽やかで自由なスタンスも人間的で素敵だし、妙にズレたポップ感にも勝手に共感していました(笑)。大学4年になった時に電話をかけてみたんです。そうしたらちょうどアシスタントを募集していて。学校の課題と自主制作作品を送ったら、すぐ面接に呼ばれました。大学では特にほめられた覚えもなかったのですが、ハジメさんは作品を評価してくれたんです。

初めてほめられたのが、立花ハジメさんというのもスゴいですよね(笑)。

実は、大学時代のすべての制作物は「これはハジメさんに見せて恥ずかしいか? 恥ずかしくないか?」を勝手に戒めとしながら作っていたんですよ。だから、なおさらうれしかった(笑)。その場で数日後からアシスタントとして入ることになりました。「株式会社 立花ハジメデザイン」という響きから、スタッフをたくさん抱えているイメージで、『自分は雑巾がけからスタートだな!!』と気合いを入れつつ、「どなたについて仕事を覚えればいいですか?」って聞いたら、「千原くん一人だけだよ」って…。就職経験無しの大学4年生だったので、それはもう必死で仕事を覚えましたよ。そんな人間をいきなり雇うハジメさんもすごいな、と思いました。

二人だけとなると、色々な仕事に関わることができたのではないですか?

いろんな規模の仕事を経験できたし、意識が一変しました。ハジメさんから相談されたものに対して、自分なりの提案をしたり、アイデアを出しあったり。個展のDMの発送作業をたった二人でやったり…。すごく濃厚で充実した時間でした。すべてが勉強であり、楽しかったです。学生時代に自主制作していたフォントを仕事で使ってくれて、ちゃんと僕の名前をクレジットしてくれたり、色々と気にかけてもらっていたんですよね。すべてにおいて本当に感謝しています。

千原航千原航

その後どういう経緯で独立されたのですか?

楽しいからこそ怖くもなってきた、というか。当たり前ですが、事務所にいる以上、僕個人に仕事が来ているわけではないので、手がけている仕事も自分がすごいからやっているわけじゃないんだよな、と思っていて。一人でこなす仕事量もどんどん広がりつつあるようにも感じてました。「では何にも所属せず、たった一人で何ができるのか? 何ができないのか?」というのを知りたくなってきたんです。「そもそも自分は何者なんだろうか?」と不安になってきたんですよね。入社から2 年経った頃に、「そろそろ独立してみたいのですが…」という相談をしました。後任のスタッフを募集した後、仕事の引き継ぎに半年かかって独立となりました。

独立直後はどのような仕事をやられていたのですか?

知り合った人たちから、エディトリアルの仕事や、CI、Tシャツデザインを頼まれたり、なりゆきで編集もやってみたり…。とにかく何でもやって、自分にとっても“お試し期間”という感じでした。そういえば、大手代理店経由で新聞広告のシリーズ仕事をやる機会がありました。クライアントにも評判良かったらしく、代理店のADからも「ほかにも色々振りたい仕事もあるし、このまま続けていこう」というありがたい話になったのですが、なぜかあまりしっくりこなくて、やんわり断ったりして…。

何がしっくりこなかったのですか?

うーん…。そういう所に出入りしてると、誰かが頻繁に「今日で何徹目?」みたいな会話しててイヤだなぁ…とか?(笑)。ある時、彼らに「どこにも出かけず、外から何か刺激を受けなくても、ものが作れるんですか?」と率直に質問をしたら、「若い頃はやってたけど今は時間ないし無理だよね。それに大人数で作ってるとそれなりに今っぽいものが作れちゃうんだよね」みたいな返事が返ってきて…。言っていることはよくわかるのですが、こういうのは無理だよなぁ、とか思って。そもそも独立したのは、自分を見つめ直すことが先決なので、まずはできるだけ気持ちの通じる人たちと、感覚を共有しながら仕事をやっていかないと、今後何かがズレていくだろうなと心配になったんでしょうね。今になってみたら「別にやってみてもよかったんじゃないか?独立初期は何ごとも経験なのに」とは思いますけど(笑)。

千原航

確かに千原さんの仕事には、いい意味で個人的な感覚というのがありますよね。

ジャンルに関係なく、作り手の人となりや考え方が伝わるものに魅力を感じます。たとえ小さくても、「深く届く声」というものもあって、それは大きな声と同時に意味があると思うんです。ただ、それらをどう感じるかは最終的には絶対趣味の問題。個人個人が何かを感じながら作っているなんて当たり前ですから。語弊を恐れずに言いますが、デザインに正解なんてないと思います。デザイナーもたくさんいた方がいいと思います。そんななかで、自分のところに何か相談事、つまり仕事が来たら、それを“解釈”して、「こんな感じはいかがですか?」という“提案”を返すわけですよね。それを他の人間がやったら、全く違う“解釈”と“提案”になるはずです。気に入ってもらえた時、“正解”になりますよね。相対的であり、絶対的ということです。このバラバラ感が、デザインだけでなく表現の楽しいところだと思います。いろいろな価値観や方法論が増えたほうが豊かですし、なんだか希望も広がるような気がします。

千原さんのお仕事を見ていると、「今回はこう来たか」という驚きだったり、ユーモアだったり、時には脱力感を感じたりします(笑)。

ありがとうございます(笑)。とはいえ、毎回の制作物が単なるウケ狙いに見えていたら微妙ですが…。仕事は共同制作による、一期一会の化学実験の機会ともいえるので、「関わるスタッフが喜ぶ新しいものを作りたい」「毎回楽しみたい」と考えている節があります。そういう時に「脱力感」が出るんでしょうか。

千原航千原航

独立から10年を超えましたが、振り返られてみてどのように感じていますか?

独立した当時は、Mac世代による第2次グラフィック・ブームともいえる時期で、図像的にも明確なスタイルを打ち出したデザイン会社や、グラフィックチームが出てきて楽しかったのですが、僕の場合は、解釈的な制作公式を持ちたかったのかなとは思います。というか、基本的には目の前のことをただやっていただけなんですけどね(笑)。最近、菊地成孔さんと大谷能生さんによるマイルス・デイヴィスの本のデザインをやっていたのですが、これは以前手がけた「フィッシュリ&ヴァイス」のDVD BOXのデザインもきっかけの1つだったりします。「解釈の結果」を理解してくれた上で、新しい仕事につながるのはうれしいことです。

ピンポイントでツボを付いているだけに、そこに共鳴してくる人とは割とスグにつながりやすい感じですよね。

それを狙っているわけではないのですが、いろいろショートカットできた上で、仕事を進めることができます。話が早いですしね。ただ、色々なジャンルの仕事をやっているように見えて、「実は手がける仕事のレンジが狭いだけなのでは?」とも思っています。結局「わかる/わからない」「わからないけど/わかろうとする」といった距離感を各自でどう捉えるかということなので、自分のレンジ内で最大限に解答するしかないんです。毎回「新しい作り方はできないものか?」「そこに発見はあるのかどうか?」とチャレンジしてるつもりですが、解釈のキャパ以上のことは無理といいますか。…って当たり前ですよね(笑)。実感ありきの制作しかできないんです。もちろんそれが理解されなければ世には出ませんし、各方面の納得と説得が必要なのは言うまでもありません。

千原航

最近は多摩美で講師をされるなど、新しい試みにもチャレンジされていますよね。

そうなんです。大学時代、特に先生受けする生徒でもなかったので、母校の非常勤講師を誘われたのは全くピンときませんでした。デザインに教育が必要なのかどうかもよくわからないですし、人の面倒を見るような身分でもないので、返事は保留し続けていたんです。でも、人に何かを教えるという経験は今までやったことがないし、教育とか美大の授業自体を「解釈」して「提案」すれば楽しいかな、と思い直しました。大学にはオリジナル授業を必修科目に入れてもらうことを条件にして、まずは実験感覚で始めてみることにしました。

具体的にはどのような授業をされたのですか?

3年生の授業として『妄想』というのをやりました。学生が「自分が考えていることが一番面白いかもしれない」「自分が考えていることは誰からも理解されないかもしれない」と、同時に自覚するような授業ができるといいな、と思って。具体的には「タイポグラフィ」「ブックデザイン」「イラストレーション」「アニメーション」「映像」「広告」など、多ジャンルにまたがる課題メニューを渡し、学生はその中から好きなものを1つ選んで制作します。

千原航

千原航

その「課題メニュー」とはどういうものだったのですか?

「自分が行ったことのない外国で発行されている本を作れ」とか「今はもう無くなってしまった、かつて自分が好きだったものの広告を制作」とか「隣の部屋に住んでいる人のパーソナリティを勝手に妄想して名刺、表札、印鑑のデザイン」とか「使ったことのない画材を用いて、左手で100 体以上キャラクターのラフを描き、一番良かったものを右手でブラッシュアップせよ」など無理難題です。デザイン大喜利みたいな(笑)。学生は自分の「妄想」、つまり推論に沿って、制作物とその設定の完成度をあげていきます。例えば、昔の人が考えていた地球の概念で「水平線の先は滝になっていて、そこには怪物がいる」とか「地球全体を象が支えている」というものがありますよね。それは、事実としては間違っているんだけど、想像力とヴィジュアルとしては全然アリです。情報にあふれて、整合性や利便性が増す現在において、「間違い」や「独自の解釈」が存在するのかどうかの調査でもあり、同時に「仕事の疑似体験」とも考えていました。

千原航

学生たちが作った作品はどんな感じでしたか?

最終講評会は、学生33 名による妄想の発表会であり、ライブ感あるグループ展のようでした。「コンゴ共和国で発行されている日本へのツアーガイド」「自分がドラッグをやったとしたら見えるかもしれないアニメーション」「知識を拒否する国で配布されてる本」など興味深い作品が次々に飛び出たので、予想以上に刺激的でした。ただ、結果的に全員同時アートディレクション的な授業になってしまったので、精も根も尽き果てました(笑)。でも、個人のものの見方を肯定して1つの表現に着地させて欲しかったんですよね。「千本ノックを受ける代わりに、おもしろいもの見せてくれないと困るんで!」と(笑)。無駄な情報や強迫観念にとらわれて、「目標や選択肢が限られている」と感じて欲しくないんですよね。そもそも何事にも「だいたい正解」はあるけど「絶対正解」なんてないじゃないですか。デザインにせよ何をにせよ、あれこれ考えながら自分なりのやり方で作りあげていくことは結局共通しています。自分でハンドルを握って、考えながら作ることってやっぱり楽しいですから。それが第3者に伝わった時はもっと嬉しい。そういう体験をしてほしかったんです。仕事をし始めたら信頼できる友達や理解者って少しずつだけど増えていきますし。…あ。10年振り返って思うことは、話ができる人が少し増えたこと? 中、高校時代の目標達成はできてるのかもしれません(笑)。

最後に今後の予定などを教えてください。

先ほど話に出た菊地成孔、大谷能生両氏の東京大学教養学部での講義「マイルス・デイヴィス論」を中心にした大著『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究/菊地成孔・大谷能生:著』(エスクァイア マガジン ジャパン)が発売中です。今は、2006年のRAWLIFEで話題になったINN JAPANのベスト盤のデザインをやりつつ、多摩美の授業のウマいやり方がわからず、今年も結局疲労困憊しています。あと最近、ちょっとやってみたい展示企画を思いついたので会場をリサーチしています。おススメの場所があったらぜひメールなどで教えてください。

千原航

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