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KATSUKI TANAKA | タナカカツキ | Artist

マンガ家、映像作家、アーティスト、大学客員教授、噺家(?)etc…。その類いまれなクリエイティヴィティで、視覚表現(とギャグ表現)の最先端を突っ走り、もはやひとつのジャンルを確立している感のある天才クリエイター、タナカカツキ。そんな彼が、ブルーレイディスクによるDVD作品集『ALTOVISION』をリリースする。イタリア語で「鳥瞰」の意味を持つタイトルが冠された本作は、人間の視覚のキャパシティを遥かに越える情報量で観る者を圧倒する”ドラッグ”ムービー集だ。現時点におけるタナカカツキのCG映像表現の到達点とも思えるこの新作はいかにして生まれたのか? 表現と技術の関係性、創作におけるオリジナリティなどについて独自の考えを語ってくれた彼のインタビューは、やがて思わぬ不時着(?)を果たすこととなる—。

Text:原田優輝


まずは、今回の作品集『ALTOVISION』リリースの経緯から教えてください。

僕の場合、だいたいすべてのものがそうなんですが、最初は勝手に自分作り始めるんです。例えば、デブの女の子を主人公にした少女マンガ(『オッス! トン子ちゃん』)を描いてほしいなんて発注、そもそもないじゃないですか。なぜかそういうことばかりやりたがるんですよね。それを知人とかに見せたりしているうちに、作品としてリリースすることになるパターンが多くて、今回も同じような経緯で、プロデューサーの金上さんに相談して、ポニーキャニオンさんから「バーチャルドラッグ」シリーズのひとつとしてリリースさせて頂くことになりました。もともと僕が「バーチャルドラッグ」シリーズのヘビーユーザーで、全シリーズ持っていたんです。

「バーチャルドラッグ」シリーズのどこに魅力を感じていたのですか?

当時は、まだ今のようにメディアがクロスしていない時代だったんですが、その頃にビデオと一緒にお香とかがパッケージされていて、しかも映画でもなんでもない「バーチャルドラッグ」というまったくわけの分からないモヤーッとしたものが本屋とかで売られていたんですね。もうその時点で合格(笑)。こういう面白いもんには一票投じるつもりで、よくわからんけど買うわけですよ。その頃、コンピューターによる映像に興味を持ち始めた頃でもあったのですが、そういうものが1時間たっぷり見られるソフトなんてほかにあまりなかったですからね。

katsuki

当時からご自身でもそういう映像を作られていたのですか?

今と違って、当時はまだコンピューターが一部の専門的な人たちのものだったですから、自分では作れなかったですね。僕もマンガ家として、筆を手にして描いていたわけで、そうしたものにはほど遠かったですね。でも、92,93年頃に、たまに目にするCG映像なんかに触発されて、パソコンを買ったんです。それから徐々に自分でも作るようになっていきました。

当時と比べると、技術も飛躍的に進歩していますし、誰もが簡単に映像を作れる環境が整いましたよね。そんななかで、今回ブルーレイディスクでリリースするというところにはどんな想いがあったのでしょうか?

単純に言うと、液晶ディスプレイやブルーレイなどが出てきて、出力環境が大きく変わってきているなかで、どんな表現ができるのかということを自分で見てみたかったということなんです。出力環境が変化したと言っても、その環境で見られる映像というのは、まだほとんどが風景なんですよ。でも、風景というのは実写ですから、実はまだブレているんです。例えば、稲穂なんかがブワーって揺れると、その瞬間はブラーがかかっていて、エッジが完全にカリっとしているかというと全然そんなことないんですよ。昔と比べればカリッとしてるけど、未来はもっとカリっとなるはずなんです。だから、今の出力環境でどれだけエッジがシャープになっているかを見たければ、やっぱりCGで表現してみるしかないんですよね。

katsuki

実際に作品を見させて頂いたのですが、もはや人間の視覚では捉えることができないほどの情報量に圧倒されました。画面を見ていても焦点が合わないというか(笑)。

どこを見ていいかわからないですよね(笑)。でも、映像の文脈として見るから情報過多に感じるだけで、実は僕らがいるこの世界の方が圧倒的に情報量が多いわけですよ。でも、そのなかで我々は普通に生活しているわけじゃないですか。それに比べたら、ハイビジョンが出てきて、次はスーパーハイビジョン、さらに立体テレビとかに進化していけば、今の映像もボケボケになっていくわけです。例えば、僕らが昔の映像を見るとボケボケに感じますけど、昔の人はそれをカリカリと思って見ているはずですからね。つまり、時代に合わせて「目」も進化していくということなんですよ。

なるほど。そういう点でも、やはり常に技術が先行し、作り手たちがそれを追いかけていくという構図は動かしがたいものなのでしょうか?

そうではないと思います。表現が技術を追いかけるというよりも、お互いが常に寄り添ってきていると思うんですね。結局コンピューターなどの技術が進化すれば、すぐに人間の脳みそが追いかけていくわけですから。例えば、作り手に限らず、ユーザーがもっとこういう映像を見たいと言えば、カメラは月にも行くし、海にも潜るわけで。やっぱり、まずは欲求が先にあると思います。技術者もそれに触発されるだろうし、自分自身の中にも欲望を持っている。だから、基本的には同時進行していると思うんです。ただ、今はブルーレイとか液晶ディスプレイとか、スペックが先に行っちゃっている状態で、ソフトが追いついていないです。だからそれを自分で作ってみようと。

katsuki

一方で、技術が飛躍的に進歩している分、その流れに反発するかのように「低解像度」に向かう表現も増えているように感じます。

デジタルが発達したことで、逆にモヤーっとしたような何か心に残る情感豊かな表現がピックアップされていったんですよね。でも今は、技術が次の段階に進んでいて、音楽なんかでも7チャンネルになっているのに、そのソフトがほとんどないという状況になっています。例えば、5.1チャンネルになったからこそ、「やっぱりラジオやレコードの音は良いよね」という話なんかもできるようになったわけで、最先端のスペックに対応した表現がなければ、アナログだの低解像度だのという話もできないと思うんです。だから、今回のDVDに収録されている映像も、現在のスペックのギリギリのところで何ができるかというところから作っているんです。

具体的にはどのように作っていったのですか?

例えば、テレビのモアレなんかもそうなんですけど、映像として表現できないものって結構あって、結局作り手は現時点での限界に合わせて作らざるを得ないところがあるんです。だから今回は、今の限界がどこにあるかを探ることをひとつのテーマにしていて、動き、スピード、色の組み合わせなどを技術者に確認しながら作っていきました。DVDには、ジャスト3分の映像が15本入っているんですが、それぞれの作品がひとつの技術的なコンセプトを持っています。例えば、この映像では「黒を表現する」とかね。今のスペックで、どこまでの黒が表現できるのか、グラデーションが作れるのか、という実験をしていきました。そうは言っても、結局コンピューターで作っているので、すべてが思い通りにはいかない。どうしても人間のイメージを越えてしまうから、最後にどちらかを選ばないといけないという時には、「どちらが美しく感じるか?」というある意味「情感」の部分で選んだりするんですけど。

その「情感」の部分が、作り手の「作家性」につながっていくのでしょうか?

作家性というのは、切り口のことだと思うんです。言い方を変えると、料理法とも言えると思うんですが、料理法が変わっても、結局味はほとんど変わらない気がするんです。要は切り口が違うだけで、みんなが美味しいという思うものを作っていることには変わりなくて、食べる側もそれを美味しいと言って食べるわけです。それと同じで、僕もみんながキレイだと感じるであろうものを作っているだけなんです。映像に限らず、僕は作家性を押し出すことがスゴく嫌いで、できるだけなくしたいと思っています。極限まで削ぎ落としてもどうしても残ってしまう癖というのはあるし、それを個性というのかもしれないけど、基本的には削ぎ落としていきたいタイプなんです(笑)。スペックありきで作った今回も、そういう作家性の部分は削ぎ落としたつもりです。

katsuki

確かに、各作品の尺がすべて3分ジャストで統一されている点などからも、作り手の意思よりも、何か機能的な部分を重視しているように感じました。

結局、伝えたいストーリーはなくて、枠を作っているだけなので、尺は何分でもいいんです。言ってみれば今回は、ディスプレイやコンピューターソフトのデモンストレーション。よくコンピューターを使い始めたばかりの作家が何かを作った時に、「ソフトのデモンストレーションに過ぎない」と悪い意味で言われることがあるんですけど、そいつらには「じゃあ、そのソフトを使い倒して、デモンストレーションをちゃんと作ってみろよ」と言いたい。作家性や自分のタッチなんてものにあぐらをかいて作品を作っているようでは、もの作りとは言えないですよね。それはビジネスです。そういう僕の態度もこの作品にはハッキリ出ていると思います。

カツキさんの原点は、紙とペンさえがあればできてしまうマンガ表現にあると思うのですが、それと今回のような作品作りではスタンスは違うのですか?

あまり分けて考えなくていいような気がします。身体的なところでの影響はあるかもしれないですけどね。というのも、ペンで真っすぐな線を引く時って、息を止めて描くんですけど、そうするとどんどん腰が曲がっていくじゃないですか。でも、コンピューターの場合は、常に呼吸しながらやっているでしょ。それが結果的に創作に影響することはあるかもしれない。でも、紙と鉛筆を使っているからって、古いメディアでやっているとはまったく思わないですし、何かを作っている時というのは、そんなことよりも先に、「こういうことがやりたい」というのがあるわけで、そこに違いはないですね。ただ、どっちが面白いかと聞かれると、今は圧倒的にコンピューターの方が面白いんです。

katsuki

それはさっき少し話されていた「人間の想像を超えてくれる」というところとも関係がありそうですね。

そうですね。紙と鉛筆でやる場合は、結局脳の中にできているものをトレースする作業なわけで、ほとんどが「労働」という感じなんですよね。でも、コンピューターは何をやるかわからない。こっちもわざとそういう風に仕込みながらやっているところもあるんだけど、ある程度投げているわけですよ。「さあ計算してみぃ、どんなん出んの?」というか(笑)。それが楽しいんですよ。

逆にコンピューターなどの技術を持ってしてもできないものを表現したいという欲求はないのですか?

今はまだ技術的に無理だけど、こういうことをやれたらいいなという妄想レベルのものはありますけど、そんなにしつこく思ったりはしないですね。僕はマンガ家としてデビューしているので、何も技術的に特別なことをしていたわけではないじゃないですか。当時はパソコンもなかったですし。それでも自分の表現としてマンガを描いてきたし、今あるもので表現するというのが基本にはありますね。

katsuki

最後に、今後やってみたいことなどがあれば教えてください。

全然関係ない話になりますけど、シルク・ドゥ・ソレイユがずっとやりたいんです。子供の頃から曲芸が好きで、自分でもジャグリングとかをやっているんです。例えば、音楽や映画の場合、どうしても会社単位になってしまうことが多いと思うんだけど、僕が今やっているマンガやCG映像って、家で一人でもできる事で、曲芸もそれと同じノリなんですよね。でも、映像やマンガの場合は、「ここまでやってしまうと独りよがりになる」という境界線があって、そこは越えないように意識しているんです。受け手に共感してもらってナンボというところがありますからね。でも、例えばジャグリングやシルク・ドゥ・ソレイユっていうのは、「人間の技」という部分で共感されるので、どこまで先にいっちゃってもOKなんですよね(笑)。

なるほど(笑)。それはある意味究極の表現かもしれないですね。

既存の文脈では分類できないようなことをやっている人はスゴく尊敬できますよね。シルク・ドゥ・ソレイユなんて、衣装にしろ技にしろ「何これ!」ってくらいメチャクチャでちょっと分類できないし、鑑賞の仕方すらわからない(笑)。どういう感情になればいいか分からないし、だからこそコワくもなるんだけど、やっぱり感動する。結局それは新しい感性を刺激しているということですよね。そういうものこそクリエイティブだと思うんです。逆に、ブランドでモノを作ったり、「クールだね」とか「可愛いね」と言われる表現って、結局ご機嫌を伺っているだけのように感じるんです…。

カツキさんにしても、既存の文脈では分類できないような活動をされていると思うのですが、一方で「タナカカツキ」というブランドもまた定着しているように感じます。そこには葛藤もありそうですね。

シルク・ドゥ・ソレイユみたいな仕事をやりたいと思いながら、自分の名前で仕事をしているという矛盾。ホントダメですね。絶望しますよ。ガッカリです。シルク・ドゥ・ソレイユって音楽も生演奏で、インカムで歌いながら踊ったりしているんです。もうすべてが詰まっている感じなんですよね。しかも、興行的にも成功している。そして、イマイチ市民権を得ることなく、怪しさもキープしている。さだまさし (この後約10分間、さだまさし談義が展開されるが、ここでは割愛)もそうなんですけど、クリエーションが完全にジャンルを超えてるんですよ。ホント打ち負かされますよね…。

katsuki

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