
KEISUKE YOSHIDA | 吉田恵輔| Film Director
劇場長編デビュー作『机のなかみ』と続く『純喫茶磯辺』が、単館系での公開ながら高く評価された吉田恵輔監督。彼の2年ぶりとなる新作『さんかく』が完成した。恋人の佳代と同棲中の30歳の男・百瀬が、夏休みを利用して泊まりに来た彼女の中3の妹・桃に翻弄されるストーリー。年甲斐もなく若い女に入れあげる男の姿を、コミカルかつ手厳しく描かせたら右に出るものはいない存在になりつつある吉田監督に話を聞いた。
Text:須永貴子
『さんかく』の出発点はどこですか?
『机のなかみ』での少女の描き方が「ちょっと自分に都合のいい解釈でしかないなあ」と思って、やり残した感があったんです。もっと自分のイメージを裏切るような女の子の姿を撮りたかったので、『机のなかみ』を作ってわりとすぐにこれを書きました。
子供でも大人でもない、10代の女性が吉田監督の作品には必ず出てきます。それはなぜでしょう?
自分もそうだったけれど、中1から高3くらいの6年間というのは、いろいろなものを吸収するし、たくさんのドラマもあって、ものスゴく濃厚な時期だと思うんです。だから、気持ちの変化や何かを感じる瞬間を撮るなら、その時期の人間をキャラクターにするとわかりやすい。そう考えると男でも女でも構わないけれど、少年よりも少女を撮る方が、自分が楽しいんです。

あるインタビューで、「女子高生といえば僕、と言われるようになりたい」という発言をされていましたが。
女子高生の映画って多いじゃないですか。そこで「女子高生といえば吉田恵輔」ということになれば、仕事に困らなそうだな、という意味も含めてのギャグです(笑)。
(笑)。でも、『さんかく』で主人公の百瀬を翻弄する桃は中3の設定ですね。なぜ年齢を下げたんですか?
『机のなかみ』や『なま夏』で女子高生を登場させて、やれロリコンだなんだと言われるたびに「そうですけどそれが何か?」みたいなことを言ってたんです。でも、よくよく考えてみると、女子高生を撮ったからロリコンだなんて、ロリコン界に失礼だなと。一度ちゃんと、真面目に、ルールを守って、ロリコンに向かい合ってみました(笑)。ただ、これ以上女の子の年齢を下げると完全に危ない人だと思われるので、これで打ち止めです。
ガチでロリコンの監督だったら、自分の好きな少女のために映画を作ることもありそうですが、吉田監督はそうではなさそうですね。
それは、『さんかく』で言えば「小野(恵令奈)ちゃんのために映画を撮ろう!」ということですよね? それは僕の動機にはならないです。僕は、自分が書いたキャラクターをきちんと演じられる人にしかオファーしません。何より作品が一番であって、そのために小野ちゃんが必要だから、「最高の小野ちゃんを撮ろう」とは思います。でも、もしも小野ちゃんより桃役にふさわしい人がいたら、その人にオファーするまでの話です。

『さんかく』 (c)2010「さんかく」製作委員会
夏休みが終わり、桃が実家に帰って以降、作品が変異していきます。ホラーやサスペンスのテイストをかなり入れているのはなぜですか?
『さんかく』の前半には桃が放つピンク色の雰囲気が充満してたぶん、後半は”フロムダスク感”を強調してものスゴく暗黒系にしてやろうという意図はありました。
フロムダスク感?
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(ロバート・ロドリゲス監督)をもしもテレビで観たら、ちょっとザッピングして戻ってくると、同じ映画とは思えないくらい色々なエッセンスが混在してますよね。そういうある種のギャップが僕は好きで、”フロムダスク感”と呼んでます(笑)。
なるほど(笑)。俳優への演出ですが、田畑智子さんへは細かく、小野さんには「そのままで」、高岡蒼甫さんには何も言わなかったそうですね。
今回は狙いがはっきりあったんです。小野ちゃんは役にぴったりだったので、普段の小野ちゃんらしさを出すことが鍵でした。「君、普段からそういう子でしょ?」という感じで撮りたかったので、なるべく芝居をされないようにしました。佳代はわりとわかりやすいキャラクターで感情の起伏も激しいので、田畑(智子)さんのように上手い人にしっかりと演じてほしかった。百瀬に関してはイメージが僕も見えていなくて、撮りながら作っていけばいいや、と思っていたから、「高岡君、この台詞なんとかしてよ」「高岡君ならできるっしょ」というスタンスでした(笑)。まず高岡(蒼甫)君の芝居を見せてもらうと、「あー、百瀬ってそうだよね」と納得するときもあれば、「ちょっと違うかなあ」というときもありました。どっちの芝居が結果的に良いかを考えると、たいてい高岡君が見せてくれたパターンでしたね。
高岡さんにとっては、相当難しかったでしょうね……。
僕が何も言わないから、不安だったみたいです。でも、脚本を読んできてるんだから、まずは役者が自分なりにやってみて、というのが本来の僕のスタイルです。それがあまりにも違うときはもちろん直していくけれど、出してくれたものを伸ばしていくほうが、良い結果になることが多いですね。

『さんかく』 (c)2010「さんかく」製作委員会
プレス資料によると百瀬の役には監督自身を投影しているんですよね? それなのにイメージがなかったんですか?
もともとの脚本は、34歳の男が、24歳の彼女がいるのに、14歳の女の子によろめくっていう、10ずつ年齢が離れた3人のストーリーだったんです。けっこう三の線のオッサンだったので、それって結構気持ち悪いんですよ(笑)。それはそれでオッサンのお客さんは自分を投影して「うひょー」って喜ぶだろうけど、普通の人が見たらあまりに気持ち悪くて怒り出すんじゃないかなと。だったらもうちょっと若くてカッコ良い人に、僕の書いた「気持ち悪いオッサン」もなんとか成立させてもおうと思って高岡くんにやってもらったんです。百瀬をイメージできなかったのはそういう理由です。
通りすがりに桃の胸を触って逃げるサラリーマンが印象的です。悪意をもった他人の存在は、監督の作品の特性だと思いますが。
高校のときに付き合っていた彼女から、女の子に変なことをするオッサンの話を結構聞いたんです。そういうオッサンって別に気が触れているわけでもなく、普通の会社員として日常に紛れ込んでいる。そのことを一番身をもって知っているのが、中高生の女の子だと思うんですね。僕も、自分が痴漢するようなオッサンになるとは思ってないけれど、痴漢で捕まるオッサンたちも、僕の年齢だった頃はまさか自分が将来痴漢になるとは思ってなかったと思う。それなのに、どこかで歪みが生じて、痴漢になっちゃった。そういう見えない狂気みたいなものが紛れ込んでいる、危うさみたいなものを描くのが好きなんです。
それが、吉田監督がテーマに掲げる人間の「曖昧さ」?
ですね。人間なんていつどうなるかわからないという、不安定要素に興味があるんです。「人間というのはよくわからないものである」ということをベースにすると、そのなかに見えるちょっとした希望や愛情が美しく見えてくる。逆に、「人間とはこういうものだ」というスタンスで愛や希望を描かれると、僕は押しつけがましいなと感じてしまう。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、あやふやな気持ちのときに語る言葉にこそ真実味を感じるというか。痴漢のオッサンは、その不安定さが悪い方向に出ちゃった悪い例なんですけどね。

『さんかく』 (c)2010「さんかく」製作委員会
これまでの3作品はすべて、脚本は吉田監督のオリジナルです。それはこだわりですか? 人が書いた脚本を監督する可能性は?
話をもらって原作ものも何本か脚本にしましたけど企画が流れました。オリジナルも含めて、結構な本数が流れたなかで生き残った3本が、たまたまオリジナルだったというだけです。
それってスゴイことですよね。オリジナルの企画が通りにくい時代なのに。
ありがたいことですよね。脚本を書くのはわりと得意なんですけど、監督することに関してはそうでもない。あまり器用じゃないんです。原作を渡されて自分が脚本にするならできるかもしれないけれど、他の人が書いた脚本だったら、もっとうまく監督できる人がいると思います。僕は自分がやりたいこと、自分にできることの幅が相当狭いという自覚があって、そこを進んでいるんですよね。
その狭い幅が意味するものとはなんですか?
基本的には人間関係の話ですよね。人の気持ちがベースにあって、その人がどう思い、どう変わっていくかが軸になっているもの。アクションとか、映像を重視するものじゃない。スポ根ものとかだと、どういう風にエモーショナルにするかがポイントだから、向いてないでしょうね。撮れなくはないだろうけれど、多分、僕より得意な人がいると思います。
今、『ROOKIES』を思い浮かべました。
そういうことです。僕は『ROOKIES』は撮れないですね。キャラクターの熱い気持ちを短い言葉に収めた台詞なんて、僕だったら絶対に吐けないと思うんです。基本、恥ずかしがり屋さんなんで、ストレートな台詞を書けないし、役に言わせられない。だから僕の脚本って「あの」とか「あれ」とか、回りくどくて余計な言葉が多いんです。

『さんかく』 (c)2010「さんかく」製作委員会
吉田監督は、どんな映画祭やコンテストに出品しても、箸にも棒にもかからなかったのが、自分をさらけ出して撮った自主映画『なま夏』で、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のオフシアターコンペティション部門でグランプリを受賞しました。自分が自主映画作家から商業ベースに乗れた理由はそこだと思いますか?
どうでしょうねえ。僕に映画を作る才能があるかどうかはわからないけれど、ものスゴくあきらめが悪いことにかけては超才能があるんです。あれだけ一次審査に落ち続けたら、普通の人はもうあきらめてます。でも僕は、ピラミッドの底辺にいることを突きつけられても、作品を撮って送り続けました。それは努力というよりも、あきらめが悪いとしか言いようがない。その苦悩があったから今があるわけで、僕にとっては必要なことだったんだと思います。でも、同じようにやっても身を滅ぼす人もいるだろうし。僕はずーっと地獄を見てて、「これが撮れたらもう死んでもいい」という経験もしたから、一度死んで蘇ってさらに余生、みたいな感覚です(笑)。撮りたい欲求はいっぱいあるけれど、「ホントに撮っていんすか?」みたいな、ありがたい状況です。
小学校の卒業文集に「映画監督になりたい」と書いていた少年が、映画監督になったわけですから、映画監督という職業にプライドをもっていそうですね。
そうでもないですよ。監督だと自覚したのは『純喫茶磯辺』を撮り終わってしばらくたってからですし。というのは、監督の方が名前の通りはいいけれど、照明さんとしてのほうが監督としての収入よりも高いわけですよ。そうなると、「仕事は何?」と聞かれたときに「照明さんかなあ」って。最近は照明の仕事がパッタリこなくなったので、ようやく「監督なのかな」って思うようになりました(笑)。できることなら、365日仕事をして、1年に2本くらい撮りたいですね。今はいくつか企画があるけれど、あやふやな状態なので、まだどうなるかわからないですね。
ところで、自分の私生活を映画のネタにするようになって、私生活への取り組み方は変わりましたか? 周りの人に警戒されませんか?
あんまり変わらないですよ。それをさらけ出すことでメシが食えるようになっただけで。周りも面白がってます。……多分ですけどね(笑)。
Information
『さんかく』は、6月26日より、ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋テアトルダイヤほか全国順次公開。















