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MASANORI IKEDA | 池田晶紀 | Photographer

被写体にまつわるさまざまなモチーフを、ひとつの空間に同居させたポートレートシリーズ『休日の写真館』から、アーティストのポートレート撮影、さらにCDジャケット、広告写真にいたるまで、境界を越えた活動を展開する写真家・池田晶紀。一見バラバラに見える彼の活動だが、どの仕事にも一貫しているのは、写真を介して生まれるコミュニケーションとそのプロセスを記録するという姿勢だ。そこには、実家が写真館であるというバックグラウンドを持つ池田ならではの写真との向き合い方がある。昨年、ASYLとの共同運営によるオルタナティブスペース「ドラックアウトスタジオ」を馬喰町に開設するなど、新展開を見せる写真家に話を聞いた。

Text:原田優輝

写真との出会いについて教えてください。

もともと実家が写真館で、今も父が横浜で営んでいるんです。でも僕は、最初は作家になりたいと思っていて、学生の頃に「ドラックアウトスタジオ」というオルタナティブスペースをつくる仲間と、そこで4年間くらい作品制作やオープンスタジオ、個展などをしたり、色々実験をしていたんです。その時に、コンテンポラリーアートの作家活動だけをやっていくことの厳しさや、もともと自分たちがやろうとしているアートに抱いていた理想とはかけ離れた閉鎖感のようなものを感じるようになり、勝手にアートに絶望したんです。そして、気づいたら一番身近にあった写真が残っていたんです。

それまでは写真以外のメディアで表現をしていたのですか?

絵画、彫刻、写真など、その都度フレッシュな素材やメディアを使っていました。当時は、自分が若かったこともあって、ハイアートからデザイン、サブカルチャーまでが、情報として同時に入ってくるような状況だったんです。それらをカテゴリごとに仕分けしていくには、やはり時間をかけてそれぞれの歴史を勉強していなかいとダメだなと感じました。でも同時に、自分がどのカテゴリにいるのかということを考えること自体がつまらないことだと思ったんです。それは他の人がやってくれることで、自分は好きなことをやればいいんだと。ただ、作家さんの手伝いをする機会などに、命がけで何かを作っている人たちを見て、自分のアイデンティティについてスゴく考えたし、何か自分の軸がほしいと思うようになったんです。それで、一番身近にあったのに気づかなかった写真という物事の本質を見抜くための道具である存在に目を向けるようになりました。そこから意識が変わり、それまで撮らなかったようなものも撮るようになっていきました。


写真に本格的に取り組むようになってからは、どんな活動をするようになりましたか?

周りにたくさん作家がいたので、以前から彼らのポートレートを撮っていたんです。それを美術雑誌の人に見てもらい、撮影の仕事をもらうようになりました。その時に、「写真なら、作家一人でやっていたものも仕事につながるんだ」ということが分かり、何かが開かれた気がしました。僕は大学ではデザイン科にいて、もともとデザイン的な思考はとても好きだったので、そういう考え方をもとにチームプレイで作っていくことも好きなんです。あくまでも個人の作家活動がメインにはあるのですが、その一方で、チームプレイでみんなに喜んでもらえるものを作るということもやりたい。もの作りには二通りのやり方があると思っていて、ひとつは人に喜んでもらえることをするということ。そういうものじゃないと仕事にはなりづらいですよね。でも一方で、お金は発生しないけど、自分さえ面白ければよくて、そこに何か使命感を持って続けていくものというのもあるんです。


それが池田さんにとっての作家活動なのですか?

そうですね。でも、自分がどうしてそれをやらなきゃいけないかということはわからないんです(笑)。ただ、そこを考えて始めてしまうと面白くなくなってしまうと思うので、「なぜそれをやるのか?」ということよりも、「なぜそれを選んだのか?」ということを大切にしたいんです。その都度その都度自分が何を選んできたのか。それを写真が勝手に残してくれるという感覚でやっています。

「選ぶ」ということについて、もう少し具体的に聞かせてください。

日常には、信じられないような不思議なことがたくさん起こっていると思うんです。例えば、ある人の話をしていたら、たまたまその人がその場に現れることってありませんか? そういうことってスゴくよく起こると思うんですけど、そういうものを自分がどれだけ感じられているかということを大切にしたいんです。前に細野(晴臣)さんが本か何かで、「一日に起こる奇跡を見逃すな」というようなことを仰っていて、本当にその通りだなと。そういうことに気づけたときに、写真機を持っていて、撮影ができたらベストなんです。その瞬間を僕は「名場面」と名付けているんです。それはいわゆる映画の名シーンのような場面ではないかもしれないですが、そういう瞬間が積み重なっていったものを振り返ったときに、自分が何を選んでいたのかということに気づけたりする。過去の自分と向かい合うことで落ち着いたり、整理できたりするということはとても重要だと思っていて。僕の場合、そうした行為を通して何かが見えてきたときに、作品を作りたくなる。だから、僕にとって、こうした日常のスナップが、ドローイングのような役割を果たしているんです。


日常に撮影されたこれらの写真は、「作品」とはまた違うのですか?

作品ではなく、あくまでも「写真」なんです。そうやって撮り貯めたものを発表することはなく、それが積み重なったときに、「よし、作品を作るぞ!」という気持ちになるんです。毎回「今回は代表作を作る!」という意気込みで取り組むのですが、それで逆に力み過ぎちゃう(笑)。でも、アスリートに近い感覚でやっているつもりなので、作品作りには、肉体と脳がベストの状態の時に取り組みたいんです。でも最近は、日常の「名場面」のスナップのようなものを、写真集として出すのはアリなのかなと思えるようになりました。今までは、写真は展示をするものだとしか考えていなかったのですが、写真集という見せ方もできるなと。

具体的に話は進んでいるのですか?

はい。今年中に出版する予定です。だから最近は、写真集に入れる写真や構成などを毎日考えたりしています(笑)。この写真集では、例えば、おじさんがただ飴をなめているだけなのに、スゴく涙が出てくるようなドラマを感じさせられる表現をしたいと思っています。日常の中の「名場面」の提案みたいなことができたら、みんなもっと自由になって、人生も楽しくなるんじゃないかなと(笑)。以前に、財布の中のお金が無くなってしまったときに、Twitter で時間と場所をアナウンスして、集まってくれた人たちの写真を20円で撮影する「20円写真館」というプロジェクトをやったのですが、偶然起こった出来事を、どう表現していくかというのはスゴく大切だと思っているんです。


「休日の写真館」のシリーズなどが、池田さんにとっての「作品」にあたるのですか?

そうですね。このシリーズでは、被写体の人のいくつもの思い出などを同じ空間の中に同居させて撮影をしています。それは、今この場に起きていることではなく、思い出の中にあるものなので、ドキュメンタリーではないですし、ある意味フェイクとすら言えるかもしれないですが、「フェイクこそがリアリティのある物語なんだ」という考え方で「記念写真」を作っています。例えば、一枚の写真の中に、女の子とコップと廃墟が同居していたときに、見る人がそれぞれのイメージを勝手につなぎ合わせたりしますよね。「休日の写真館」では、それらの要素が一枚の写真に同居している理由はちゃんとあるのですが、見る人それぞれが点と点を結んでいったときに何が見えるか、ということをテーマにしているところがありました。その部分に、豊かさや楽しみというのがあると思うんです。
でも最近は、倒置的に自分が配置したものが絡み合っていくことよりも、アクシデントが起きたときに見え方が変わっていくようなものの方が面白いと感じるようになってきています。その予測不可能なプロセスを重視するようになっていて、最近はワークショップをやることも増えています。そうすることで、自分でも予想できないものが生まれたりするんです。もちろん、常にうまくいくわけではないですが、二度と起こせないような奇跡が結構起こるんですよ。

「休日の写真館」は、すでに8年近く続いているシリーズですが、どのようなペースで撮影をしているのですか?

まとめて一気に撮るときと、バラバラに撮る時があります。例えば、展覧会をやることが決まっているときは、展示場所で撮影をすることもあります。そうすることで、その場所に時間軸が生まれるんです。例えば、本人がその展覧会を観に来たときに、同じ場所で撮影された過去の自分と、現在の自分が同居することになりますよね。そのときに、作られたフェイクの写真と現実が、ピーンとつながってくる瞬間があるはずなんです。そうした時間軸と空間の関係性というのはとても面白いし、「一瞬を永遠にする」という写真の特性が見えてくる。そういう瞬間が一番うれしいですね。だから作品を作るときは、空間、被写体との距離、時間軸の関係性などをきちんと持たせた表現をしようと思っています。そういう意味で、記念写真というフォーマットが僕にとっては一番面白いし、「作品」という感じがするんですよね。


ご自身のバックグラウンドがそのまま作品になっているわけですね。

はい。まずは、父親が写真館を営んでいるということが僕にとってのバックグラウンドです。そこからスタートした後、自分にしかできないものをつくる、また、楽しくユーモアたっぷりの人生にするぞ! と覚悟しています。しかし、作品を作っていくということは、とても孤独な作業。だからこそ、自分の等身大の生き方ができて、その延長線上に表現があるという状態が、一番つらくないんですよね。自分がやっていることを世界共通語にするのではなく、そもそもその人自体に壁がない、という状態を目指したほうが楽だなと。昨年6月に馬喰町に事務所を移して、また「ドラックアウトスタジオ」という名で、ASYLと共同運営するスペースを開設したんですけど、ここを拠り所として、あまり周りに振り回されずに制作ができる環境を作っていけたらと思っています。

今後の予定や展望などがあれば教えてください。

「ドラックアウトスタジオ」を面白くしていけたらと思っています。作家のプライベートビューのプロデュースなどをいくつかやる予定です。今年はドイツで展覧会の予定もあるので、向こうの作家と交換展覧会なんかもやりたいし、Ustreamでここから声も発信していけたらと考えています。僕個人のプライベートビューも、写真集を出すタイミングで1週間くらいできたらなと。あと、いま水草にはまっているんです。水槽の中で世界が循環していて、これをキャンバスとしてとらえると、とても面白いんですよ。実際に水槽を撮影したりしているんですけど、これってアートでもデザインでもなく、意味が分からない感じですよね(笑)。でも、独立した体力や美しさのようなものはある。そういう作品を作っていきたいなと思っています。前から取り組んでいる作家のポートレート撮影もずっと続けていきたいし、先日、コミックバンド「ニューゆかい」も久々に復活させました。こういう一見バラバラな活動がつながっていって、ひとつの自分らしさみたいなものが出てくると面白いなと思っています。


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