loading...

PUBLIC-IMAGE.ORG

Creators Dictionary for Realtime Culture

  • PUBLIC-IMAGE.STORE
  • PUBLIC-IMAGE.3D

Apichatpong Weerasethakul|アピチャッポン・ウィーラセタクン|Film Director|Artist

映像の中の精霊たちが物語をつむぎ、物語はやがて異なる世界同士をつないでいく。タイ映画としては初めてカンヌの最高賞=パルム・ドールを獲得したアピチャッポン・ウィーラセタクンの『ブンミおじさんの森』は、ある男の最期の日々をめぐる「輪廻転生」を描いた映像叙事詩だ。自身がターニングポイントだと認め、「コメディでもある」とする同作について、その真意を確かめるインタビューを行った。

Text:内田伸一

まずは『ブンミおじさんの森』のカンヌ国際映像祭パルム・ドール受賞、おめでとうございます。もう何度となく言われた祝辞だとは思いますが。

確かに(笑)。でも、ありがとうございます。

原題の『Uncle Boonmee who can recall his past lives』(前世を思い出せるブンミおじさん)が示唆するように、種を越えた命の輪廻転生を背景にした物語ですね。

私がタイの東北部に住んでいたころ、近所の僧院で聞いたある老人の逸話にインスピレーションを得た作品です。寺院で瞑想を学んでいた彼は、自分の前世——水牛など人間以外の姿を含んだ前世——をまぶたの裏に見たという話でした。

映画では、主人公のブンミが人生の終わりを迎えつつあるなかで体験するあれこれ、を中心にお話が展開されます。静かだけれど雄弁、とでも言うべき映像表現はここでも健在ですね。

きっかけは今お話したような男性の経験ですが、作品では私自身の記憶や体験もかなり重要になっています。例えば、劇中のブンミは腎臓の病を抱えていますが、私の父親がまさにそうでしたし、撮影時もブンミの部屋は、父の部屋に似せて作っているんですよ。


生と死、家族の絆、命の輪廻……そうしたテーマに接近したのも、ご自身の経験や年齢とも関係がありそうですか?

そうかもしれませんね。以前はそこまで深く考えなかった両親のこと、タイという国のこと。そして自分もいつかはこの世を去るということ。これらに、より意識的になってきたとは感じます。でも、いつも色々な感情が混ざり合って作品になるので、制作の動機を言葉にするのは難しいですね。なぜ撮るか、を自分で意識したこともあまりないんです。ブンミという男の個人的な物語も、人が年老いていくという普遍的なテーマも、私にとっては同等の強さを持っている、と言えばいいのかな。

一方で現代的なテーマ、例えばタイの歴史や政治にまつわるあれこれを連想させる箇所もあると感じました。はっきりと言葉にこそ出さないものの…。

確かに。でも実のところ、私自身はそういったものにほとんど心を動かされないんです。むしろここで私を突き動かしたのは、自分の若いころの記憶に関わるものでした。それは今ではほとんど失われつつあり、もはや存在しないものもあります。


これまでの作品と比べると、今回の作品はより広い層にもアピールしやすいのではという気もします。ストーリーの流れや台詞まわしもそうですし、古くからの主題を扱っている点も理由かもしれませんね。今までの作品づくりと違ったアプローチはありましたか?

プロデューサーのサイモン・フィールドが最初に脚本を読んだとき、あなたと同じことを言っていましたね。でも私はそんなこと信じなかったけれど(笑)! 自分では今までと同じ気持ちで撮り始めたので、もしそんなふうに思うとなにか残念なお話になってしまう気がして、特に撮影中は繰り返し「これが特別わかりやすいとは思わないけど?」と言い続けていました。

す、すみません(苦笑)。

その思いは今も同じです(笑)。でもこうして作品ができあがり、私自身はいわば、この映画をすでに「経験」してきたわけなので、ひとつひとつのシーンの背景も知っているし、厳密な意味では新鮮な目で観ることができません。だから、この作品が鑑賞者の目にどう映るのか、広くアピールできるのか、自分ではわからないというのが本音のところです。

監督の記憶から生まれた映画が、今度は観客それぞれの記憶になっていくわけですね。東京フィルメックスでのジャパンプレミアでは「これはコメディだという意見もあった」と話していました。「笑い」についてはどんな考えを持っていますか?

これまでの作品にも私なりのユーモアは入れているつもりなんだけど、それが伝わっていないとしたら、個人的すぎたのかな、きっと(笑)。でも今回は脚本を書く段階で、確かにユーモアを意識しました。特に幽霊の場面——これから観る人には言うべきかどうかわからないけれど——女性の幽霊がブンミたちと対話をするところはそうですね。僕にとってはコメディだと受けとれるかも。会話の仕方なんかは、どこか文学っぽい感じでもあります。


コミカルなものとシリアスなものが折り重なる様が美しいようにも感じます。

これは戦いについての話でもあり、苦しみのコメディであるとも言えます。同時に、どんな事柄でも距離をとって見たときにはコメディのように受け取ることもできる、私たち人間は、いつだってそうではないでしょうか?

ある種の断絶、喪失を考えさせるシーンもありました。ブンミの息子の数奇な運命が、彼と俗世を引き離してしまったあたりなど。命が形を変えて続いていくという輪廻的なものが描かれる一方、先ほど少しお話していた、大切なものが消えていくことにも思いが及んだというか。

ただ、私が思うに、それらも本当に失われたわけではないのかもしれません。いったんは姿を消しても、形を変え、また違う形で立ち現れてくるのでしょう。

でも、例えばあなたはこの映画が子供のころ観た古いTV番組や映画へのオマージュでもある、と言っていましたが、今はもうそうした表現や映画館自体がなくなってしまったかもしれません。

いや、映画の話で言えば、お姫様の物語やメロドラマ、そういったものも形を変えながら現在まで続いていますよ。消えてしまっても、また違う形になって、新たな何かをもたらしてくれるという意味ではね。

なるほど。それもあなたの輪廻転生についての考え方なのですね。ところで、消え行くものと言えば……というわけではありませんが、今回の撮影にはスーパー16mmを使用したそうですね。

本当は35mmで撮りたかったんですけど。でも予算の都合上、「ビデオにする? いやむしろビデオでいいじゃない!?」って迫られて(笑)。でも私はフィルムというメディアにこだわりました。いろいろな条件下で最終的に16mmを選択したわけです。撮り始めてみると、35mmよりもフラットな感じが子供のころ観ていたTV映像のようでもあり、かえって良い結果を得られたと思っています。


ジャングルのシーンや農場ののどかな情景も印象的です。一方、監督自身はご両親がお医者さんで、子供のころは病院と学校、そして映画館が主な遊び場だったと聞きました。

私はバンコク生まれですが、育ったのは東北部のコンケン県という、いわば大学街のようなところです。昔は何もないダウンタウンだったけれど、今では大きな街に変わってきています。ただ、郊外には洞窟や滝があり、今回の撮影でもそのあたりを訪れています。この映画に出てくるような森の中で遊びまわったことはありませんが、家には木造小屋があって、そこで遊んだりしたように思います。

生と死の世界はもちろん、「こちら側とあちら側」、つまりボーダーに関する描写も多く見られます。隣国ラオスからの労働者がブンミのもとで働いていたり、人間と他の生物との交流が描かれたり、またブンミの親戚で現代っ子のトンが俗世と仏門を一時的に往復したりします。

そうですね。境界の行き来ということには常に興味があります。境界というのは、私たちの人生を変えるものですから。例えば、タイとラオスはメコン川で隔てられていますが、かつてこの2国は家族のようなものでした。ところが戦火のなかで、いつしか両岸は分断されてしまったのです。今でこそ川を渡ることはできるわけですが、人々の関係についていえば、現にそれで引き裂かれてしまった家族もいた。ほかにも様々なボーダーについて、よく考えます。


映画のラストにも、驚くべき「境界の行き来」が出てきますね。そういえばカンヌ国際映画祭では、今回の審査員長を務めたティム・バートンから「この作品にはファンタジーとサプライズがある」という賛辞をもらったとか。現地で審査員たちと何か話す機会はありましたか?

映画祭のパーティでベニチオ・デル・トロに会う機会があって「君の映画がすごく好きなんだ」と言われました。ちょうど彼の愛犬が他界したばかりということもあって、今回の映画には特に感銘を受けたと話してくれましたね。

自分自身の中では、この作品はどんな位置づけになりますか?

間違いなく、ターニングポイントにはなる作品でしょう。これまで記憶についての映画をたくさん作ってきたけれど、これはその中でも究極の作品です。だから次回作については、きっとまた違ったものになるでしょう。

例えば、今回ブンミおじさん役として、屋根ふき職人だったタナパットさんを抜擢したように、素人的な俳優を使う独特の演出法なども変わっていく?

どうでしょうね。ただ、今後はタイ人以外の俳優も起用してみようと考えているので、見た目的にも変わっていくとは思います。ただし、プライベートな視点から撮っていくということでは、つまり精神的な面では、これまで通りです。


ハリウッド映画などに見受けられる、ある種の予定調和と違って、あなたの作品は唐突に場面が転換したり、解釈を観客に委ねるような内容も少なくないですね。それが驚きを生みもしますが、ああいった様々なシーンを1本の映画に編み上げる独自の基準があるのでしょうか?

それについては、うまく答えるのが難しいですね。ただ、まず映画製作の契約書をつくるときに、映画のレンジ、つまり上映時間の制約は極力外してほしいと申し出ています。私は権利関係がどうこうといったことには興味がほとんどありませんが、上映時間というのは決めなくてはいけない。今回は最初「120分で」と言われたから、150分、最大限の尺をくださいと主張しました。なにしろ、どんな映画になるのかその時点では私にもわからないので! 最終的には114分にまとめ、当然ですがたくさんのシーンをカットしました。お姫様のシーンや洞窟のシーン、イントロダクション、病院のシーンなんかは少し削って、全体を絞りました。でも、これから出るDVDにいくつかのエクストラシーンが収録されます。もし、日本での劇場公開前に海外でDVDが発売されてしまうことになったら、ちょっと複雑な気持ちですね(笑)。

そうなってもやっぱり、みんなスクリーンで観たいと思うのでは(笑)。最後の質問ですが、エンドロールで男女の話し声が流れてくるアレは、いったい何を話しているんでしょう?

ブンミおじさんが歌をうたうシーンがあったのですが、本編では結局使われなかったんです。それで最後に、男性が「マイク要る?」とか言って、女性が「とにかく歌いなさいよ!」みたいなやりとりが音声のみで挿入されています。これは、観る人をけっこう混乱させる感じの付け足しですね(笑)。でも、なぜかこのことについて質問してくれるのは日本人だけで、それも不思議です。他の国のプレスやジャーナリストは誰も聞かないんですよ(苦笑)! まあ、ちょっとした遊び心です。

DICTIONARY

RELATED