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MINORU KURIMURA | 栗村実 | Film Director

ブッダの「すべての苦しみはおよそ食糧から生ずる」という言葉にインスピレーションを受け、3組のカップルのコミュニケーションを「食」を通して描いた『飯と乙女』。世界各地の映画祭で評価を受けている本作を監督したのは、これが長編デビュー作となる栗村実。40歳という年齢だけでない、新人らしからぬ完成度の高さは、彼が映画業界でさまざまな仕事に関わった賜だろう。彼がこの長編を監督するにいたった道のりや、作品の成り立ちを聞く。

Text:須永貴子


4年制大学を卒業後、米国のColumbia College Hollywood(以下CCH)に映画を学ぶために留学したそうですが、その経緯を教えてください。

大学に入った頃にビデオデッキが普及し始めて、いろいろな映画を見るようになり、映画の仕事に興味を持ったんです。テレビ関係を中心に就職活動もしたんですけど、受からなくて(笑)。そこで、一度、映画の勉強をしたいなと思いました。せっかく英語も話せるので(編集部注:出身大学の国際基督教大学〈通称:ICU〉は英語が堪能な学生が多い)、国内外の映画学校をリサーチした結果、最短で学士号がもらえるCCHに決めました。ICUの単位を認めてくれたので、夜学だったこともあり、1年半で卒業できました。

留学の目的は、演出方法を学ぶことでしたか?

一番学びたかったのは、演出です。ただ、この学校は一学年40人と小規模なので、映画に関してまんべんなく学べることが特徴で、プロデュースや撮影技術、編集技術も学びました。テレビ局として使われていた場所を改造して学校にしているので、古い機材ばかりがあったんです。幸か不幸か(笑)。今ではほとんどの監督がやらないような、フィルムを切って貼って、みたいな授業もありました。肌で実地を覚えられて良かったなと思います。

留学中に、現地でコーディネーター業にも従事していたそうですね。

留学して半年たった頃、学校の掲示板でKurosawa Enterprises USAのインターン募集の貼り紙を見つけたんです。オフィスに行ったら『』の画コンテが飾ってあって、そこで初めて「黒澤明監督の事務所だ!」と気付きました(笑)。1年間は昼間はそこで仕事をして、夜は学校に通いました。卒業後も1年間滞在できるビザだったので、丸2年間インターンさせてもらいました。

「飯と乙女」(C)9miles, inc.

その後帰国して、2社の映画会社に勤務、フリーランス、自分の映像制作会社ナインマイルズを起業と、さまざまな形で映像制作やプロデュース、買い付けなどに携わってらっしゃった。今回の長編初監督に至るまでの道のりは計画通りですか?

成り行きの側面が強いです(笑)。もちろんもっと早く撮りたいという思いもありましたし、自分に演出が向いているのかプロデュースが向いているのかを、やりながら探っていた部分もあります。僕の場合はたまたま現場ではなく配給宣伝から入ったので、プロデュース側の仕事をやってきて、フリーランスになってから予告編、メイキング、映像編集の仕事もやるようになった。それと並行して機材が発達したこともあり、自分でも撮れるようになった、という流れだと思います。

栗村さんの作品は、オリジナルな美意識と哲学を感じさせる作家性と、プロデューサーとしての冷静な視点が共存している。そこが面白いと思います。

アメリカで映画を勉強しようと思ったときに、一番身につけたいと思っていたスキルがそこで、お客さんのことを考えつつ、質の高いものを作れるようになりたかったんです。当時(93年頃)の日本映画はまだまだ取っつきづらくて、このままではお客さんが日本映画から離れてしまうんじゃないかと思っていました。一本でも面白い日本映画が増えたらいいなって。極端な話、エンターテインメントの極みである『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズみたいな日本映画を作る一助になれたらいいなと思っていましたね。

映画業界に20年近く携わった今、その思いはどうなっていますか?

誰が観ても楽しめて、お客さんも動員できる、エンターテインメント映画が増えたことは、一側面だけ観れば良いことだと思います。その反面、映画らしさは無くなってしまった。

栗村さんの考える「映画らしさ」とは?

お客さんに、どれだけ楽しく想像力を使わせてあげられるかだと思ってます。テレビのディレクターさんはスキルが高いので、しっかり伝わるカット割という点では、映画監督は敵わない。映画監督は、職人であるというよりは、詩人でないといけないと思います。観た人が想像力を使う余地をどれだけ残しながら、ちゃんと物語を伝えられるか。映画監督は誰もが、お客さんのことを考えながら、「このくらいまで勝負しても大丈夫」という、バランスをギリギリのところで計っていると思います。

「飯と乙女」(C)9miles, inc.

栗村さんの作家性と商業性のバランスは、今回の「食」の扱い方に表れていると思います。ロハスや癒やし系といったファッション的な切り口でもなく、食の問題を追及する社会派ドキュメンタリーでもなく、食の本質を物語に活かしています。

そもそもは、「自社資金100万円でベストなものを撮って、なんとか映画祭に出品して、劇場公開に繋げよう」というところから内容を考えていきました。

ということは、自主映画なんですね。映画の内容もルックも完成度が高いので、気付きませんでした。

完全なる自主映画です(笑)。商業映画に見えるように、プロデューサーの経験を生かしています。コマーシャルを一本撮ったら数百万円かかるようなカメラマンの方に撮ってもらってますし、チラシ一枚にしても、クオリティ管理にしては妥協せずやっています。言ってしまえば、「これを撮りたい」というテーマや内容ありきではなく、制約のなかで何ができるかという作り方をしています。食べることを通してコミュニケーションを描こうと決めたのは、自分が大学時代にコミュニケーションを学んでいたこと、自分が「食べること」が好きだったこと、『タンポポ』や『コックと泥棒、その妻と愛人』といった食にまつわる映画に好きな作品が多かったことなどが理由です。

料理の撮り方も、独特でした。雰囲気に寄りすぎず、グロテスクにも寄りすぎず。

テレビコマーシャルのようにおいしそうに撮るには、非常に予算がかかるんです。そこで勝負はできないので、予算がなくてもおいしそうに撮れる方法をいろいろ考えて一周回った結果、飾らない方が自然なおいしさが伝わるな、という結論に至りました。あと、おいしそうに見せたいシーンでは、食材や料理になるべく寄って撮りました。そうすると、観ている人が食べ物を目の前にしている気分になれるので。ただ、キャラクターのワシワシ、もりもりとした食べ方に、拒否反応を示す人はいましたね。


 

メチャクチャおいしそうでしたよ! ちゃんとおいしそうな匂いが伝わりました。カツサンドも、いなり寿司も、猫まんまですら。

『タンポポ』と『コックと泥棒〜』以外に、松本零士先生の食べ物の描き方に影響を受けています。『銀河鉄道999』の漫画には、肉の丸焼きや、生卵がのったラーメンや、焼き魚をのせてお箸を刺した山盛りのご飯(笑)など、ボリューム感のある食べ物が描かれている。お上品じゃないけれど、とにかく山盛りで、食欲をそそるんです。食べ物に関する台詞もいい。鉄郎くんたちが絶対絶命の状況に陥ってどうしようもなくなった時、メーテルがビフテキを注文して「震えながらでも食べる男は、震えて食べられない男よりも、少しでも生き残る確率がある」といった台詞を言うんです。

いいですね! メーテルと鉄郎もそうですが、『飯と乙女』も、女性が男性に食べさせる図式ですよね。監督がストーリーを考えるときに、断食で憔悴したブッダがスジャータから捧げられた乳粥により悟りを開くというエピソードをもとにしていることも大きいのでしょうが。

僕の印象ですが、男よりも女の方が動物として強いと思うんです。根本的に「生きなきゃ」という力は、女性により備わっている気がします。だからまずはじめに書いた、他人が作った料理を食べられないキャラクター、九条を男性にしました。そして、イントラパーソナル(個人的内部の)コミュニケーションしかとれなかった九条が、女性キャラクターとの関係性において、インターパーソナル(対個人の)コミュニケーションをとれるようになるまでをひとつのストーリーラインにしました。他の2組のカップルも含め、この映画は女性が男性に「ごたごた言ってないで、まずは食べて生命を維持しなさい。話はそこから先でしょ」という映画なのかもしれませんね。

「飯と乙女」(C)9miles, inc.


「飯と乙女」(C)9miles, inc.

他人の手料理を食べられないキャラクターは、監督の知人がモデルだそうですね。理由はご存知ですか?

知らないんです。この映画でも、九条の「理由」を示すかどうか、すごく迷いました。今でも正解かどうかはわかりません。ただ、特定の理由を示さないほうが、似たような傾向をもつ人たちが共感できると思ったんです。理由を特定すると、九条個人の問題になってしまうので。ただ、劇中に示していないだけで理由はハッキリ設定していて、九条を演じた役者さんには、それを説明し理解してもらった上で演じてもらいました。その方が演じやすいと思ったので。

『飯と乙女』は、ベルリン国際映画祭モスクワ国際映画祭(NETPAC賞受賞)、アジアティカ映画祭(審査員特別賞、観客賞受賞)などの映画祭に、監督の目標通り、出品され、評価を得ています。そのために工夫したことはありますか?

僕は買い付けのために映画祭に少なからず足を運んでいるので、映画祭というものがどういうタイプの作品を好むのかをある程度わかっています。音楽を不必要に付けすぎない。エキゾチックに見える日本的な要素を入れる。食やセックスといった題材を好む。そういうテクニカルな部分に関しては、見方によってはあざといですけれど、配慮して作りました。

その作品を、実際に呼んでもらう方法は?

そこは正攻法です。映画祭の各窓口にエントリーフォームを送ると、日本の窓口にスクリーナーを送ってくれと言われるので、送る。地道にやりました。

買い付けではなく、映画監督として映画祭に参加して、思うところはありましたか?

世界には、映画を好きでいてくれるお客さんがいっぱいいるんだな、ありがたいなと感動しました。みなさん、映画を楽しむために来てくれているから、良いところを拾ってくれて、悪いところには寛容です。こういう人たちによって映画は文化として支えられているということを目の当たりにしました。上映後も、わざわざ「ここが良かった」と伝えに来てくれて、励みになりました。逆に買い付けるときは、その作品が宣伝的にどんな切り口なら当たりそうか、お客さんに受けない要素が何カ所あるかといったネガティブチェックをするので、まったく違いますね。

栗村さんのように映画業界で経験を積んで、人脈を広げて満を持してデビュー作を撮るにも、若くしてデビューする人とはまた違う、ひとつのパターンだと思いますが、自分のこのタイミングに関して、どう捉えていますか?

40歳で初監督だと「それまで何をやってたんだ?」と思われますし、若い監督の方が、期待値があっていいですよね(笑)。某雑誌の企画で新鋭監督のひとりに選んでもらったんですけど、もちろん最年長なので「やばいな」と思いました(笑)。

「飯と乙女」(C)9miles, inc.

初長編を撮ってみて、今後、どういった作品を日本映画界に提示していくのか、ビジョンをきかせてください。

文章の読解力と一緒で、想像力を使う必要のない映画をたくさん作り続け、そういう作品にお客さんがたくさん集まった結果、お客さんの映画の読解力が一般的に落ちていると思います。それは、映画業界のせいなので、映画を通してそこを徐々に鍛えてあげないといけないと思います。それは1、2本の映画の力ではどうしようもないですし、最初はどうしても採算が合わないと思うので、文化庁なりが助成金を与える必要があると思います。あとは作り手一人一人が、身銭を切って、文化やアートの存在意義を示していかないといけない。そうすることで初めて助成金についても考えてもらえると思うので、まずは汗と血を流しながら、フィルムメイカーが作品を作っていくしかない。今、そういう人が何人か出てきていますよね。入江悠監督なんかもそうですし、『飯と乙女』に出演してくれた岸健太郎くんも監督として3年がかりで『未来の記録』という力作を作り、劇場公開させています。状況的にも、Twitterのおかげで、ミニミニシアター的な作品を楽しもうとするお客さんが増えつつある。メディアの方にも取り上げていただいて、お客さんに集まっていただいて、昔成立していたミニシアター的な作品を撮れる状況を作りたい。そのためにも、映画の資産的価値、文化的価値を認めてくれる会社や個人が、助成金制度以外に出てきてほしいなと思います。

監督それぞれも、自分をどう自覚的にマネジメントしていくかが大事になっていきそうですね。

山下敦弘監督、石井裕也監督、入江悠監督、真利子哲也監督などをはじめ、そういう監督が増えていると思います。山下監督はそこからひとつ抜けつつありますよね、うれしいことに。

栗村監督の、日本映画界を見据えた動きに注目しています!

次回作が60歳にならないようにがんばります(笑)。

Information
飯と乙女』は、6月18日よりユーロスペースにて公開。

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