
HIROYUKI NISOUGI | 二艘木洋行 | Artist
2010年に行われた個展のタイトル「直線・コピペ・リドゥ・塗り潰し」が象徴するように、お絵描き掲示板の描画機能を使った作品で「二艘木洋行的」としか言い得ない抽象表現の強度を獲得しているアーティスト、二艘木洋行。お絵描き掲示板の機能がもたらす低解像度の歪みを持った線は、日常がねじれてパラレルワールドの一コマに迷い込んでしまったような不安定さと同時に、揺るぎないイノセンスを感じさせる。これまでの変遷と、彼の制作において大きな比重を占める、お絵描き掲示板を使用した制作についてその考えを聞いた。
Text:松井友里
絵を描き始めたきっかけを教えてください。
意識的に描き始めたのは高校を卒業する頃で、美大受験の準備のようなことをしていたのですが、結局美大には行かずにデザインの専門学校に進みました。絵を描きたいというよりはCDジャケットとかのデザインをやりたいというイメージがぼんやりあって始めた感じですね。専門学校を卒業する頃にはイラストレーターになりたいと思っていました。
当時から今のような作風だったのですか?
内容的にはまったく別で、もっと説明図版的に何かのモチーフをいかに描くかというようなものでした。その頃にもお絵描き掲示板は使っていましたけど、お絵描き掲示板がいいと思っていたわけではなくて、手描きもしていましたね。

お絵描き掲示板を使い始めたきっかけは?
高校の終わりくらいから遊びで始めたのがきっかけです。ネットでお絵描き掲示板を知ったのですが、掲示板上で描くことができるし、たくさんの人が絵を描いたりコメントを付けたりしているのが楽しくて。個人サイトに設置している人も多くて、誰かのサイトのお絵描き掲示板で描いたりするのもすごく面白かったです。描かれていた絵自体は今見るとそれほどでもないものもあったかもしれないですけど。
コミュニケーションの部分で惹かれたところが大きかったのですね。
その頃は圧倒的にそうでしたね。
もともと手描きもしていたなかで、お絵描き掲示板上でも描き続けたのはなぜですか? 機能的には手描きに比べてかなり制限される部分もあると思うのですが。
もちろん子供の頃はお絵描き掲示板なんてないから手で描くしかなかったのですが、お絵描き掲示板の使いやすさに目覚めてからは、手描きする時でもお絵描き掲示板のように描けないかな、とずっと思っています。お絵描き掲示板には画材としての描きやすさというのがあって、それが自分にフィットしている一番の理由なんです。Macのペイントにも似ているんですけど、ペイントよりもちょっと機能が豊富で、フィルターやテクスチャなどの「いらないかな」と感じる機能がない代わりに、自分が「この辺くらいまでは欲しい」と思う機能はちゃんとある。ちょうどいいところを突いてるんですよね(笑)。


お絵描き掲示板の描画機能は、当然二艘木さんの作風にも影響を与えていますよね?
圧倒的にそうですね。ただ、最初は「お絵描き掲示板だからこうしよう」という風に描いていたわけではなくて、2005年くらいからだんだんシフトしていきました。その頃、今はもうなくなってしまった経堂のアペルというギャラリーで個展をしたのですが、そこで初めてお絵描き掲示板で描いた絵を展示したんです。その前にも個展やグループ展はやっていたんですけど、お絵描き掲示板の絵は展示には耐えないと思っていたので、外に出すことはしていなくて。でも、だんだんそうでもないんじゃないかなって思い始めたんです。あと、お絵描き掲示板にはコミュニティのような感じでひとつの掲示板にいろんな絵描きの人が集まっているのですが、大体の作品はゲームグラフィックの延長なんですよね。でも中にはちょっとおかしな、他ではあまり見たことがないような絵を描く人たちもいて、その影響を結構受けましたね。見たことのないものや自分には出せない質感に触れた時の感覚が、一番自分を高揚させてくれるんです。だから、自分が絵を描く時にも、これまでに見たことがなくて、自分の想像力では及ばないような絵を描くことを目指していった結果、どんどんエスカレートしていった感じです。お絵描き掲示板というのは、そうした描き方にも都合がいいんです。お絵描き掲示板の中でもすごくリアルな絵を描く人はいて、限られた機能の中で技能を駆使していること自体はすごいんですけど、あまり意味がないような気もするし。
手描きの作品との使い分けというのはあるのですか?
アペルでの個展では、手描きの絵も一緒に展示していたんですけど、その頃はどっちの路線がいいのかまだ迷っていたんです。やっぱりお絵描き掲示板の絵だと、作品として形に残らないような気がしていて。だから、お絵描き掲示板で描くような絵を手描きで作りたいと思っていたのですが、その展示に来た人たちに話を聞いたりしているうちに「案外そうでもないな」というところに最終的に落ち着いて。ちょうど展示の前後に中ザワヒデキさんに会って話を聞いたりしたこともあって、そこからしばらくはお絵描き掲示板で描いた絵を展示することしかしてなかったです。その後、2010年にCULTIVATEで個展をした時にはドローイングも展示しました。僕の中には、ツールや技法、画材などに依存して描くという感覚があるので、「お絵描き掲示板じゃなかったらいい絵が描けない」と思って、2005年以降しばらくは手描きの作品は作りあぐねていたのですが、CULTIVATEの時には手描きでもいい依存先を見つけることができたんです。
それは具体的にはどういうことですか?
先ほども話した、自分が見たことのない、自分には描けない絵を描くというところにもつながるんですけど、カーボン紙で画面を隠してその上から描いていくんです。その行程やスピード感がすごく重要で、描くのに時間がかかっていたらダメなんですよね。

CULTIVATE#3 二艘木洋行「直線・コピペ・リドゥ・塗り潰し」


いつもどれくらいの時間をかけて描いているのですか?
お絵描き掲示板だったら多分1時間か2時間です。パソコンで作品を制作している人だと、多分何回か保存しながら描いていくと思うのですが、僕の場合それをするともう絶対にダメなんですよね。やる気がまったく起きない。手描きの場合はもう少し時間がかかって、小さい作品であれば2、3時間くらいです。大きな絵の場合は同じ色をただ塗るという作業的な部分も出てきてしまうのですが、手描きの場合は時間がかかってもそんなに苦痛ではないですね。
かなり即興的ですね。
そうですね、まるっきり即興です。下書きはしないので、出た所勝負みたいな感じです。もちろんその中でも描き直しはありますが。
描く手段が変わると、作品の内容もだいぶ変わってくるのですか?
別物といえば別物です。でも最近は、感覚としてお絵描き掲示板で描くものと手書きで描くものが近くなっていて、それはすごくいいなと思っています。どちらが上ということもなくなっていて、同じ価値。だから作品を展示する場所や扱いなどによって、出すものを変えればいいのかなと。
最近、KAI-YOUが立ち上げたビジュアルネットレーベル「Recode」では、作品をキャンバスプリントの形で販売していますね。
以前から、お絵描き掲示板で描いた作品をキャンバスにプリントすることはやっていたんです。そうするとモノ感が出て作品然としますよね。ただ、以前に中ザワさんに「もともと画面上の全く質感のないものなのに、キャンバスの質感が出てしまうことで本来の意味合いではなくなってしまっている」と言われたことがあって、全くその通りだなと。それだけが理由ではないですが、それ以来キャンバスプリントはやめていました。その後もただプリントするだけではなにか違うという思いがあって、お絵描き掲示板にフィットするやり方をずっと探していて、カラーコピーを使う方法をやり始めたんです。一枚の絵を色ごとに版を分けるような形で何回も重ねてインクジェットプリンタで印刷し、それを「原本」として、さらにカラーコピー機で一枚のコピー用紙に印刷するというやり方で、しばらくそれを展示もしていました。でもはじめに中ザワさんが言ったように、本来の意味合いからすると、そのカラーコピーの作品も相当質感が出てしまっているんですよね。
では、Recodeで出力販売をしているのはなぜですか?
カラーコピーもキャンバスに出力するのも一緒だなと途中から思い始めたんです。あくまでも作品として重要なのはデータであって、アウトプットについては、その場その場で変わっていってもいいのかなと。素材や手間による価値の差は出るかもしれないけれど、出力されるものは結局ポスター的なものというか、キャンバスだろうと手間をかけたカラーコピーだろうと、意味合い的には同じだという意識になりました。それからは別に出力してもいいかなと思うようになって、カオスラウンジの展示に参加した時にはキャンバスにプリントした作品を出したし、Recodeの時も、キャンバスにプリントして作品の価値を高める、というような意図があるのかなと思って、断ることもちょっと考えたのですが、ポスター的な意味合いでインテリアの一部のように作品を売るというようなことだったので、参加することにしました。



シーユーアゲイン – See You Again -
ネット上で公開されている作品は、簡単に複製や保存ができてしまうので、「オリジナル」の定義はとても難しい問題になってくると思うのですが、どのように考えていますか?
特にお絵描き掲示板の作品はネット上ですべて公開されているので、オリジナルはないといえばないですね。厳密には、僕が使っているパソコンのモニターで見てもらうというのが一番オリジナルに近いかなとは思うのですが。もともと、そんなに価値のないような微妙な感じのものを「アート作品」としてがんばって価値付けするのはどうなのかなという気持ちはあります。自分の中には「作品」という意識はすごくあるのですが、大事にはされないですからね。そういう意味では、価値というか値段的なものは最底辺だなと思います。
Twitterで「お絵描き掲示板展」の構想についてツイートされていましたが、どのようなものを考えているのですか?
特定の作家の作品を展示することと併せて、お絵描き掲示板の文化的な側面を紹介できればと思っています。pixivやmixi、Twitterなどのソーシャルネットワークが出てくるに連れて、お絵描き掲示板はどんどん廃れてきてしまっていますが、お絵描き掲示板が盛り上がっていた当時の感覚や熱気みたいなものを再現したいです。お絵描き掲示板を使った面白い作家や作品はたくさんあるので、それを紹介したいという気持ちもあります。
最後に、今後の展示の予定を教えてください。
8月に「全感覚派美術展」というグループ展に、11月の終わり頃に愛知で行われる展示に参加します。また、今年2月に僕がやっているUNKNOWNPOPというレーベルから「ポイフル的少女」という作品集をリリースしたのですが、それに合わせて下北沢の古書ビビビと中野ブロードウェイにあるタコシェの2ヶ所の書店で展示をしようと考えています。











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