
YUMA HARADA | 原田祐馬 | Art Director, Designer
大阪を拠点に、既存のグラフィックデザインの枠にとどまらない活動を展開しているデザイナー、原田祐馬。建築をバックグラウンドに持つ彼は、あらゆる情報や空間、時間などを重層的に積み重ねていくことで、ひとつのデザインを定着させていく。時には、プロジェクトを自ら創り出し、上流から下流まですべてを体験することで、最適な解答を導き出していくのが彼のやり方だ。「DESIGNEAST」、「HOTEL ANTEROOM KYOTO」など、話題を集める数々のプロジェクトに関わる関西デザイン界のキーマンを取材した。
Text:原田優輝
デザイナーを志したきっかけを教えてください。
もともと祖父が活字の母型を作る仕事をしていて、父親もプロダクトやグラフィックデザインの仕事をしていたんです。そういう環境もあり、自分もデザインの勉強をしてみたいと思うようになったのですが、最初はどちらかというとグラフィックよりも、建築の方に興味がありました。デザインに興味を持つ前までは、全然勉強もせずにラグビーやバイトばかりしていたのですが、大学進学にあたって、浪人をするお金もないしなぁと思い、身近にある3年制の専門学校へ進みました。でも、いざ行ってみると、僕が興味を持っていた建築設計やデザインを学ぶ環境があまり整っていなくて、1、2年間はスゴくくすぶっていましたね。
その後何か転機があったのですか?
3年生になって、学校の図書室に通うようになったんです。そこには、いろんなことを教えてくれる図書室のおばちゃんがいて、ある時そのおばちゃんから「大学に行ってみたら?」と言われたんです(笑)。それまで全然考えてなかったんですが、ちょうど専門学校から大学への編入が認められた最初の年だったこともあり、そこから必死に勉強して、京都精華大学へ編入学することができました。

森村泰昌『なにものかへのレクイエム』
大学では本格的に建築の勉強をすることができたのですか?
そうですね。ただ、編入生だったこともあり、卒業の時にまだ学びが足りないなと思ったんですね。それで、色々調べてみたら、デザイン、美術、編集、マネジメントなど領域横断的に学べるIMI(インターメディウム研究所)という私塾のような学校が大阪にあることがわかって。そこは、土日だけ開講していたのですが、アーティストの椿昇さん、ヤノベケンジさん、写真家の畠山直哉さん、評論家の椹木野衣さん、グラフィックデザイナーの奥村昭夫さんなどさまざまな先生が週末ごとに教えに来ていたんです。実家から近かったこともあって、結局5年間所属していましたね(笑)。
5年は長いですね(笑)。でも、授業は基本的に週末だけなんですよね?
そうなんです。時間がたくさんあるんです(笑)。だから、結局平日もずっとそこに入り浸っていて、自分たちの名刺を作って、勝手に学校の電話番号を使って事務所みたいに使うというメチャクチャなことを始めて(笑)。そのときはアーキベンタという名前で、ワークショップやトークイベント、インスタレーションなど、建築とイベントを合わせたような企画を色々やっていました。そこでそういった企画を通して、さまざまな人と出会い、対話できることがスゴく面白かったんです。当時は、イベントのフライヤーなど広報物は、グラフィックを得意とする友人にお願いしていて、自分は中間領域的なディレクションだけをしていました。その頃は、デザインという作業は、内に入り込んでいくものだと思っていて、自分はもっとオープンに広がっていって、人と出会っていくんだという思いがあったんですね。
イベント企画以外の仕事もしていたのですか?
そうですね。店舗設計の仕事などもやりました。当時は2人で活動していて、ひとりが基本的に設計をやって、僕はお店のロゴのデザインやメニューの開発などを提案していたのですが、その頃から徐々に自分でもデザインを手がけるようになっていきました。また、IMI時代の後半には、金沢21世紀美術館の開館記念としてヤノベケンジさんが招聘され、「子供都市計画」という滞在制作プロジェクトを行うことになり、僕も声をかけて頂いて、そのプロジェクトの全体総括という立場で、半年間金沢に住んで制作をしたのですが、それが今の活動につながる大きなきっかけとなりました。スタート当初は、全体のディレクションや制作をやっていたのですが、さまざまな人たちにプロジェクトを体感してもらうために、積極的に自分たちでイベントやメディアを立ち上げて、人を集めたり、フライヤーのデザインなどをするようになっていきました。


「ヤノベケンジ:ドキュメント子供都市計画」 Photo:Takumi Ota
グラフィックデザインは独学で学んだのですか?
はい。建築を学んでいたこともあって、グラフィックデザインを専門に学んだ人とはデザインプロセス自体が大きく異なるようにも感じます。一枚のポスターでメッセージを伝えるというよりは、重層的に設計していけるブックデザインへの興味が強いですね。先ほどお話した金沢での滞在制作プロジェクトのときのドキュメントブックが、僕が手がけた最初のブックデザインです。美術界の歴史にも残る半年間のプロジェクトで、どうしてもアーカイブしておきたいという思いから、自分で企画を立ち上げ、企画書と本のプロトタイプを作って、さまざまな出版社に交渉して回りました。企業へ協賛をお願いするなど、すべてのプロセスを自分たちで経験し、一冊の本を作ったんです。これはとても思い出深い仕事ですね。
現在でも、一枚で完結するグラフィックデザインよりも、プロジェクト全体のキュレーションや構成から関わる仕事が多いようですね。
はい。例えば、大阪市が発行しているクリエイティブに特化したフリーペーパー『SUPER:』では、デザインだけでなくエディトリアルのディレクションまで担当しています。すでにあるものをリニューアルするようなデザインではなく、コンセプト立案、企画などプロセスの上流から入り込んで、下流までしっかり体験しながらデザインを定着させていくということを大切にしています。そのプロジェクトにあったデザインというのは、プロセスの中から見えてくると思っています。

(左)『SUPER:』、(右)『prototypebook』
オリジナルのプロジェクトとして続けている「prototypebook」にも、その考え方は共通していそうですね。
そうですね。このプロジェクトは編集者の多田智美さんと一緒に始めました。自分が本をデザインすると、それが取次を通して店頭に並ぶわけですが、実際にどういう人がそれを買っているかというのは、デザイナーには見えないんですよね。そこに昔から疑問を感じていて、どういう風に自分のデザインを感じてもらっているのか、どういう風にその本が売れているのかをもっと知りたいという思いから、このプロジェクトは始まりました。自分たちがパブリッシャーになって、300部限定の本を、アーティストや写真家、デザイナー、編集者のコラボレーションによって作っていくんです。実際に企画、編集、構成、デザイン、出版、流通までをやってみると、例えば、印刷所にデータを渡して、それが本になるということが、どれだけ大変なことかということがわかるんです。製本ひとつとっても、機械がないと断裁が難しいということが初めてわかる。だから、自費出版で、流通も含めて自分たちでやっていくということを大切にしているんです。プロセスを微分化していくことで、ちゃんと納得したいんですね。このプロジェクトを通して、自分の中で本というものがより身体化された感覚はありますね。
もともとやっていた空間デザインに関する仕事も多いのですか?
昔は小さなアパートのリノベーションなどもデザインしていたのですが、最近はそんなに多くはないです。ただ、普段から現代美術の仕事に関わることが多いので、ギャラリーのリノベーションや美術館の展示構成などはありますね。また、先日手がけた京都の「HOTEL ANTEROOM KYOTO」では、ロゴマークやサイン計画やロゴマークなどのVIを担当しました。もともと街場のようなホテルだと感じていたので、それをグラフィックやサインの部分でも表現していくことを重視しました。またホテルの1階にあるGALLERY 9.5のキュレーションなど、美術に関わることも担当しています。

「HOTEL ANTEROOM KYOTO」Photo: Yoshiro Masuda

「HOTEL ANTEROOM KYOTO」Photo: Yoshiro Masuda

Kohei Nawa Swell-Deer 2010 / mixed media Courtesy of SANDWICH, Kyoto
©Taisuke Koyama
Photo: Yoshiro Masuda
2009年から始まったイベント「DESIGNEAST」にも実行委員として関わっていますよね。
はい。IMIを出た頃に、関西の同世代のクリエイターたちでもっと交流をした方がいいんじゃないかということで、建築やインテリア、プロダクトなどさまざまな分野の人が集まり、勉強会をやろうという話になったんです。でも、何度集まっても、いつも飲み会になってしまい、お互いの仕事すら見せ合ったことがなかったんですね(笑)。そこから数年このような関係が続き、ある時にこのままでは良くないということにメンバーの一人が気づき、一度友人の事務所に集まってお互いの仕事を見せ合うイベントを開いたんです。そうすると、驚くことにそれぞれ面白い仕事をやっているんですね。ただ、やはり僕も含めていい加減な友人が多くて、この会も2回目が開かれることはありませんでした(笑)。でも、2009年に、さすがにそろそろまとまったイベントをやろうと、偶然同じ日に、その会のメンバーだったデザイナーの柳原照弘くんと建築家の家成俊勝くんから連絡をもらい、すぐに3人でミーティングをしたんです。そこでイベントの雛形のようなものとキャストが見えて、編集者の多田智美さんや研究者の水野大二郎くんに声を掛けて、10月にプレイベントとして、「DESIGNEAST 00」を開催しました。DESIGNEASTを始めた当初は、関西にはまだ僕たちが考えるデザインの状況がないという思いがありました。デザイナーやクライアントだけでなく、街の人たちも、これからもっと成長していかないといけないんじゃないかと考え、まずは自分たちが「デザインする状況」をデザインしていこうというところから始めたのが、このイベントなんです。
現在はかなり大きな規模にまで成長しているようですね。
2010年の「DESIGNEAST 01」では、2500人規模のイベントになりました。自分たちだけでどこまで挑戦できるかという思いがあって、協賛ではなくさまざまな企業や人にご協力を頂き、入場者数で継続していける仕組みを作っていこうと模索しています。「DESIGNEAST 02」は、9月23日~25日に名村造船所跡地(クリエイティブセンター大阪)で開催します。現在色々動いているので、楽しみにしていてください。




「DESIGNEAST 01」 Photo:Takumi Ota
大阪で活動を続けていくことについては、どのように考えていますか?
数年前に、デザインユニットの生意気が大阪に長期滞在していたことがあって、そのときに彼らは「大阪には仕事がないから良いなぁ」と言っていたんですね。それを聞いたときに、僕らは仕事がないことをデメリットとして考えるのではなく、むしろ自分でプロジェクトや出来事をつくれる環境があるということを、面白さとして捉えていけばいいんじゃないかと考えたんです。それがいまの自分の仕事のスタンスに繋がっているのだと思います。
「出来事をおこす」ということが、原田さんのデザインの重要なキーワードになっているようですね。
そうですね。社会的な状況の変化の中で重要なのは、その時々の社会を観察し、状況をデザインしていくことだと思うんです。これまで5年間デザインの仕事に携わってきましたが、ジャンルや規模は違えど、根幹にあるものは何も変わっていません。遊ぶようにデザインをして、自分たちでも常にプロジェクトを作って楽しむということだけなんですね。ただし、完成物のクオリティには、とてもシビアです。やはり、そこに対して満足してもらったり、何かを感じてもらえるようなものを作っていけたらいいなと思っています。これまでお話したプロジェクト以外にも、仕事でも遊びでも共感できる仲間と思いっきり遊ぶためのプロジェクトとして、気鋭の写真家集団ゆかいを率いる池田晶紀さん、何度も出てきますが(笑)、多田さん、グラフィックデザイナーの橋詰宗くんと一緒に、あっという間に写真集をつくってしまう「@YOUMOREBOOK」も昨年から行っています。遊んでばっかりという声も…(笑)。


「@YOUMOREBOOK」
今後やっていきたいことなどがあれば教えてください。
最近、日本タイポグラフィ協会の広報誌「タイポグラフィックス・ティー/typographics ti:」のクリエイティブディレクションを担当していて、アジアにおけるタイポグラフィやデザインのネットワークをつくる目的で、さまざまなアジアの都市を訪ねています。そのプロジェクトで香港に行ったときに、「HK HONEY」というプロジェクトの代表のマイケル・ラングに会ったんです。彼は、もともとヨーロッパでプロダクトデザインの仕事をしていたのですが、香港に帰国した時に、はるばる香港までフランス産のハチミツが届いていることに疑問を持ったそうなんです。養蜂するのに条件が良い香港に住んでいるのだから、そんな遠く離れたところから輸入するより、自分たちで作った方がいいんじゃないかと。それで作り始めたところ、蜂という小さな生き物を発端にして、どんどん人のネットワークが広がっていったそうなんですね。こういったことに面白さを感じて、現在もそのプロジェクトを続けているらしいのですが、それは僕らが理想としていることにもスゴく近いと思ったんです。自分が作ったひとつのものからネットワークを作っていくという方法ですよね。そういうアプローチというのが、これからの社会におけるひとつのデザインの役割なのかなと思うんです。だから、近いうちに僕たちもハチミツを作って、香港のハチミツと大阪のハチミツを交換できたりしたらいいなと思います (笑)。

「typographics ti:」













