
NAOYA HATAKEYAMA | 畠山直哉 | Photographer
「事実はない、解釈だけが存在する」と言った哲学者がいま生きていたら、畠山直哉の写真をどう評するだろう。彼の作品には、「撮れば写る」写真というメディウムへの怜悧な分析と、「見えないもの」への思考が共存する。最新個展では、東日本大震災前後に故郷を写した数十枚も出展された。従来にない私的要素も含む同シリーズを含め、それぞれの「ナチュラル・ストーリーズ」を聞く。
Text:内田伸一
まず今回の個展『ナチュラル・ストーリーズ』の構成についてうかがえますか?
もともと、岩石や自然物に関わる写真を多く撮ってきました。山もまぁ、大きな石とも言えますよね。一方で僕の写真には都市や建築という軸もあり、2007年の鎌倉での個展(神奈川県立近代美術館)は主にそちらをテーマにしました。次に何かやるとしたら、自然物の写真を扱いたいという気持ちがあったんです。
冒頭にまず、カメラ・オブスキュラの像をなぞって描いた鉱山のドローイングが展示されたのも印象的です。
まず、自分としてはこのドローイングは末尾という風にも見ているのですが、写真にはものを覗く性格と、それを焼き付ける性格があって、つまり光学的な部分と、化学的な部分です。前者は後者よりずっと前、数百年前からあって、あれはそれを利用したドローイングですね。「写真の半分」みたいなものです。僕はどちらかというと、写っている何かについて語るより、写真というメディウムについて語り、考えることが好きです。でも、世の中の会話の多くは……。
「誰それのあの写真が好き」といった話ばかりになりがちですね。
写真とはメディウムの名であり、同時にそこには実際に写っているものがある。ある俳優を写した1枚を見て「この写真が好き」というとき、その写真自体が好きなのか、俳優が好きなのか、うまく言えない。形式と内容はそれらは分離できず混濁していると思うし、そうしたものも含めた経験全体を僕らは「写真」と呼んでいますね。僕は1980年前後に大学で教育を受けた人間ですが、当時は写真やアートを考えるとき、形式への意識が高い環境だったんです。

「テリル #02607」(2009)
写真について学び始めたのは筑波大学時代ですか?
はい。入学当時は絵画やグラフィックデザイン、版画に関心がありました。写真に進んだのは、大辻清司先生との出会いが大きいですね。授業を聴いて、この人のそばで学びたいと強く思いました。言葉の端々に、写真を通じてしか得られないような刺激的な思考が感じられたんです。
大辻さんは前衛芸術家集団「実験工房」にも参加していた方ですね。
実験工房の名付け親の瀧口修造さんなどは、アンドレ・ブルトンらとの交流の中で、日本にいながら欧州のモダニズムの問題を我が事としてとらえていたと思います。そうした意識を持った人が当時少なからずいました。そこには、純粋な絵画、純粋な写真とは何かという議論や、写真のための写真、といった自問自答・自己言及的な表現も関連してきます。そういった知的環境の中で自己形成し、自然科学的なセンス、分析的な態度も身に付けていた一人が大辻先生だと思います。世の中の多数派ではないわけですが、僕は「こっちが断然面白いぜ!」となって(笑)。

「ライム・ヒルズ LH27403」(1989)
写真については、彼の「できるだけ画面から説明的な要素を省いてみなさい」という助言が心に響いたそうですね。
一種の価値破壊的な響きもある言葉です。例えば今朝、展覧会場に座ってくれている美術館のスタッフから相談があったんです。『ライム・ヒルズ』シリーズについて「これはヘリで撮ったの? それとも向い側の山頂から?」と聞いてきたお客に、どう答えたらいいかって。僕は、両方です、と答えればいいんじゃないですかと伝えました(笑)。
(笑)。でも、その人の気持ちもわかります。つい知りたくなる。
何か答えれば納得してもらえるのでしょうね。でも、その納得の仕方で写真の意味も見え方も変わる。写真自体は変わらないのに、です。だからそこでは、明らかに言葉が原因になっている。見る人は写っているもの以外の何かを求めているとわかるでしょう?

「ア・バード/ブラスト #130」(2006)
写っているものだけでは足りない?
別の言い方をすれば、そのままでは謎にしか見えない写真がある。それを楽しめ、と大辻さんは言ったのでしょう。わからないからこそ、まじまじと見て、考えてしまう。写真と向き合う面白さはそんなところにもあると思います。でも、腑に落ちない状態に耐えられない人もいる。そして、人はメディウムの中に無意識に法のようなものを見つけてしまうこともある。ある価値や美意識を多くの人と簡単に共有できる、と思い込みがちな点もそう。写真のパワーだとも言えますが、僕はそこに拡散できる余地がないと、息苦しいんです。
撮る人間の意思を超えたところで、考える要素のある写真ということでしょうか。山岳やボタ山の姿、鉄工所から空へ放たれる蒸気の雲など、今回出展された写真群はいずれも、人間も含めた自然の「営み」を感じます。『ブラスト』シリーズなどもそうですが、ご自分ではどうとらえていますか?
『ブラスト』は、重力や物質について教えてくれます。あのイメージは、現像するまで僕にも見られない。岩場をこういうふうに爆破したら、どう石が割れて、どう飛ぶか、どう埃が出るか。中には、吹っ飛んだ岩の一部に、その上を飛ぶ小石の影が落ちていて、そのまま移動したりしているものもある。芸術とかいう以前に、僕らの目ではとらえられない物の世界を見ることができます。だから、科学雑誌に掲載されたこともありました。
発破現場に偶然写っていた鳥の飛翔の様子を組写真にした『ア・バード/ブラスト』も、撮ってから/撮ったから気付く世界の存在を考えさせられます。しかし、今回特に立ち止まって考えずにいられないのが、ご出身地の陸前高田を撮ったシリーズです。震災後すぐに撮影を始めたのですか?
そうです。あれについては、撮っているときはあまり深く考えなかったですね。

「陸前高田 米崎町 2011年5月1日」(2011)
津波でご実家が流され、お母様もお亡くなりになったと聞きました。軽々に何かを言えないのですが、今までの畠山さんの写真とは違い私的な背景の色濃い写真という点でも、出展を決めるのにためらいはなかったのでしょうか?
例えばコンセプチュアルな美術写真のスタイルを確立しているような人には、こういうこと(自己の体験を直接的に表現に結びつけること)は難しいかもしれません。一方で、常に自分の実人生をテーマにする写真家もいる。僕のような写真家は両者の中間あたり、不思議なポジションだとも思いますが、いま自分が提供できる材料として重要なものを出しているという自負はあります。僕が実体験したことを、皆が公平に考えられる場で提示できるという意味で。
津波がさらった街を写した60点の写真『陸前高田2011』と、それに向き合うように同サイズの額縁ひとつで示された震災前の『気仙川2002-2010』、両者の対比も印象的です。後者は液晶画面のスライドショーで、同じく60点ありますね。
例えば、あの『陸前高田2011』の写真を美しい、と思う人もいるかもしれない。同時にそれではいけない、という気持ちも働くかもしれない。展覧会という場での表象のやり取りという体験を通して、という現実世界に存在している生身の人間同士が話し合いをできたらとも思うんです。倫理と芸術の関係ってどうなっているの?とか。

「陸前高田 高田町 2011年4月5日」(2011)
『気仙川』のほうをプリントにせず液晶画面のスライドショーにしたのは?
あの景色はもう写真の中と、人々の頭の中にしか残っていない、というのがひとつあります。だから、プリントで見せるより、付いたり消えたりする状態がふさわしいのではと思いました。例えば自分の母親の姿を、頭の中で思い出してみるとします。1分とか2分の間それを鮮明に思い出し続けることはできないでしょう? それくらい記憶の表象は短いものです。それは、こんな時代にもまだ静止画状態の「写真」が必要とされることとも、どこかで関係があると思います。そういうプレゼンテーションの違いによって、僕らの意識の違いを考えてみることができたらとも考えました。また、『気仙川』の風景をいまああいうふうに感じることになろうとは、震災前には誰も思っていなかった。そこに写っている母が今はもういない、何の変哲もない写真が特別なものになる……。そこまでいくと、もう写真家の能力やコントロールを超えた何かの話になります。
しかしそれもまた、写真というメディウムを考えることにつながる?
事情をよく知っている場合と、知らない場合で見え方も違うでしょうね。付け加えれば、知ってるとか知らないとか、キャプションがあるとかないとかいうこと以上に、僕らの中にあらかじめある知識とか記憶とかが、写真の体験を支えているということがあると思うんです。それを僕は「見えない言葉」と呼んでいますが、それはこうした場合に限らず、時代であったり地域であったり、信頼できる人のお勧めであったり、さまざまです。でも先ほどの大辻さんの言葉に戻れば、それをいったんチャラにしたところから始めよう、というのが彼の考えだったとも思います。
だとすれば、それについて現在の畠山さんのお考えはどうでしょう?
僕はあの街で生まれたがゆえに、そこに帰って撮りました。ジャーナリストとして被災地を巡って撮った人たちと、そこはやはり違うとは思います。僕のは大震災全体を対象に「こんなに大変だった」というものではない。写真のルックスは似ているけれど、背後の物語が違う。でも結局は表象ですから「そんなに違わないね」という意見もあり得るとも思うんです。となると、フェアに写真を見るとはどういうことなのか、写真と現実存在の関係はどうなっているのか、また考えることになりますね。

「ヴェストファーレン炭鉱Ⅰ/Ⅱアーレン #00276」(2004)
それは、ご自分の今後の写真を変えるかもしれない問いでしょうか?
これまでの態度と矛盾はしないと思います。ただ、これからどうする? という大きい問題があるのは感じますね。今まで僕は「見えない言葉」――理性や教育と呼んでもいいけれど――で辛うじてバランスを取っているような世界を前提に、謎や宙吊りをたくさん用意してきたわけです。「世の中安定して見えるけれど、そうでもないんじゃない?」と。
その前提を覆す出来事が、震災という形で起こってしまったということですね。
3.11はその「謎」のただ中に、特に東北地方の人々を直接放り込んだ出来事だった。そんないま、以前と同じやり方で謎を語る必要があるのかどうか。そう思うと、次のステップに進まねばとも思います。自分の作品が変わるかどうかについて、いま提示できる回答はありません。でも何か、目標を決めて考えていくアクションや、問題を共有していける方法もあるのではと思っています。だからこそ、なんとか見せることができた。あの写真を見て言葉があふれて整理できない、と言う人もいました。考えなきゃいけないことが膨大にあると。それもまた別の「見えない」言葉でしょうね。きっと、そうやってだんだん気持ちを落ち着けていくと思うのですが、こういう反応が出ることは、僕は良かったと思っています。
今後もこうした写真を発表していくことになりそうですか?
いまはわかりません。また建築の写真を撮るかもしれないし。ただ、今回のことを通して、写真を取り巻く環境全体の雰囲気、写真の力学とでもいうものが再構成されて、もう少し落ち着いたものになればいいなと思います。写真の持つパワーについては先ほども少し話しましたが、その野蛮な面は誰にも制御が難しいでしょう。それが僕やあなたに、圧力として働くことも本当に多いんです。そういう、自由と裏返しの抑圧の力――誰もが表現者という現代では写真に限らず、例えばTwitter上の言葉の世界などでも同様かもしれませんが――そういう荒ぶる何かをおさめながら、もうちょっとバランスの良い環境が生まれればよいなと願います。その点、メディウムまみれ、メディア漬けといってもいい環境に生きている若い世代から、そういうことを考える態度が出てきているよう感じるのは頼もしいですね。
『Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ』展は2011年12月4日まで、東京都写真美術館で開催。















