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YUKIHIRO SHODA | ショウダユキヒロ | Director

震災以降の日本社会の未来を、痛烈な皮肉とともに描いたショートフィルム「blind」で国内外から注目を集めたショウダユキヒロ。3.11以降、各界のクリエイターたちはさまざまなアクションを見せたが、ショウダが取った行動とその作品は、映像作家としての社会に対する意思表明として、ひときわ目立つものだったように思える。その後も、さまざまなジャンルの表現者たちに、これからの「豊かさ」について問いかけた「SOCIAL 0.0 by Motorola PHOTON」の映像監督を務めるなど、いま最も注目を集める映像作家である彼にインタビューを行った。

Text:原田優輝

映像制作に興味を持つようになったのはいつ頃からですか?

大学に入ってからですね。高校では進学校に通っていたのですが、その頃仲の良かった友達がいて、いつもふたりで絵を描いたりしていたので、美大に行こうという話になり、京都工芸繊維大学に入って、グラフィックデザインを専攻しました。でも、実際にやってみると文字詰めやレイアウトなどが面白くなくて、これは向いていないなと。その頃、Resfestミシェル・ゴンドリーの作品を見たのですが、それがまるでマジックのように思えて、「これどうやって作るんだろう?」という純粋な興味で映像に流れていきました。

その頃はまだ映像制作のノウハウはなかったんですよね?

ゼロでしたね(笑)。当時は、ミュージックビデオをやりたいとか、映画を作りたいというのも特もなく、何をやりたいのか自分でもわからない状態だったので、とりあえず手を動かすポストプロダクションに入りました。そこで色んな人に話を聞いたり、研修や現場に行かせてもらったりしながら、ひとつずつ勉強していきました。そんなことをしているうちに自分でも作りたくなって、周りの仲の良いヤツらに声をかけて、自主制作をするようになりました。そこからつながった仕事などを一生懸命やっているうちに、少しずつレベルアップできたので、自分でやってみようと思い、独立することにしました。


独立当時はどんな映像を作っていきたいと考えていましたか?

特に明確なものはなかったですね。ポスプロ時代に色々覚えたので、とりあえず最低限の武器は手に入れたし、もうスライムくらいは倒せるようになったから、村の外に出てみるか、みたいな(笑)。当時は編集もモーションもやっていて、自分の職種がよくわからなかったので、名刺にはディレクターという肩書きも入れていませんでした。自分にいい作品を作りたいという気持ちだけには嘘をつかずにやろうと思ったので、自分の名前と、「Keep it Real」という言葉だけを名刺に書いて。当初は友達が小さな仕事をチョイチョイ持ってきてくれて、そこから徐々にミュージックビデオなども作るようになっていきました。

ターニングポイントになった仕事はありますか?

坂本龍一さんのドキュメンタリーフィルムですね。当初は、坂本さんの音楽のイメージというのが正直あまりなかったのですが、実際に聴いてみるとメチャクチャカッコ良くて、これは限界までがんばらないとヤバいなと(笑)。坂本さんのアートディレクションを担当してきた人にアドバイスを受けながら一緒に作っていったのですが、とても勉強になりましたね。この時に、良いものを作るためにはディレクションが大事だということ、そのさじ加減ひとつで映像は大きく変わるということを実感しました。


映像を作る上で大切にしていることを教えて下さい。

僕は関西人なので、基本的にオチのないものは面白くないと思ってしまうんです。だから、たとえ地味な仕事でも、何かしら起承転結の展開があって、最後にオチがあるものを作ることが多いですね。ワンアイデアだけで映像を見せていくというアーティスト寄りの考え方もあると思いますが、僕の場合はそうではなくて、ストーリーテリングがあるものが好きなんです。だから、直感に任せて作っていくというよりは、それぞれのカットが何を表すのか、何を伝えるためのものなのか、というように意味合いを求めるところがあります。作る段階ではアングルや色味などを吟味しながらしっかり構築していって、後はそれを見た人の勝手な判断に委ねようというスタンスです。

クライアントワークと自主制作では考え方の違いはありますか?

ほぼ同じですね。もちろんクライアントがいる場合は、彼らを満足させるものを作るというのが最低条件ですが、僕が一番イヤなのは、後になって言い訳することなんです。依頼を受けた段階で、完全に自分の作りたいものとは違うものになると思うなら最初から断ればいいし、引き受けた以上はその条件の中で必死にやって、最上のものを作れるかどうかということなんです。いまもミュージックビデオからCM、ショートフィルム、他にもCMの企画やビデオコンテなど世に出ないような仕事もしていますが、どれも好きなので限定する気はなく、それぞれの条件の中で一番面白いものが作れれば、自分としては満足なんです。


先日制作したショートフィルム「blind」についても聞かせてください。

やっぱり震災直後は僕もスゴく衝撃を受けました。その後も毎日余震があるし、精神的にもストレスがあったので、すぐに何かを作ろうという気にはなかなかなれなかった。TVからは毎日「ポポポポーン」のCMが流れているし、原発の上からヘリコプターで水を流している映像とかを見て、「何やねん、この国ができることはこれだけかよ」と思って…。そんな気持ちのなか、ニューヨークの「Cut & Paste」という大会に、モーショングラフィック部門で出ることになっていたので、とりあえずニューヨークに行きました。向こうには友達もいたので、その後もしばらく残っていたのですが、そうすると日本のニュースがTVとかで流れるじゃないですか。友達からもスゴく心配されて移住して来いと言われたり、日本の状況について色んなことを聞かれたりして、かなりヘコみながら帰国したんですね。そうしたら日本の社会の雰囲気がかなり普通に戻っていて。海外ではあれだけ心配されているのに、当の日本人はもう大丈夫みたいになっていて・・・。

海外との温度差に憤りを感じたことが、制作のきっかけになったのですか?

ニューヨークに行く前から、ガスマスクを使ったショートフィルムのアイデアはありました。ただ、もっとハードでアナーキーな映像を漠然とイメージしていたのですが、時間と共に怒りのボルテージも収束してきたし、それを表現するよりも、シリアスな状況に見ないふりをしている人たちに向けて作ろうと。それで帰国後にシナリオを書き始めて、その段階で色んな人に意見をもらいながら何度も修正し書き上げました。友人や家族から金銭面、技術面でも協力してもらい何とか撮影まで持っていけた感じです。ただ、そこからも本当に長くて。しっかり伝えたいことを伝えるために、音楽や編集を何度も試行錯誤して、結局完成までに4ヶ月くらいかかりました。持てるお金、体力、時間をすべてこれにつぎ込んだという感じでしたね。最初は30分くらいのショートフィルムにしようと考えていたのですが、最終的には、自分が作り得る最上の映像を4分間にまとめることにしました。いかに重いパンチをみぞおちに入れるかということを考えた時に、踏み込みのタイミングや間合いなど、すべてを計算しないといけない。そんな思いで一秒たりとも気を抜かずに作っていきました。


「現実に目を閉ざすものは、未来に盲目である」という最後のメッセージが胸に響く作品ですね。

これはドイツのヴァイツゼッカー元大統領が、かつてのナチスの暴力支配を踏まえて残した「過去に目を閉ざすものは、現在において盲目となる」という言葉が元になっています。ただ過去は変えれないが、いま現在にいる僕らは、過去を知ることで、未来を変えられるんだということを伝えたかった。状況を変えられるのは僕ではなくてみんななので、自分も含めて多くの人たちが閉ざしていた目をこじ開けて、何かを考えてもらうきっかけに、この作品がなれればいいという思いがありました。

社会に対する問題提起という意味合いが強い作品ですが、もともと映像を作る上でそうした意識は高かったのですか?

僕は自分のアイデンティティを周りに決められるのがスゴく嫌で、そういうところから国や社会と個人の関係性などについては考えていました。ただ、前からそういう映像も作ろうとはしていたけどどこか漠然としていて、形にはなっていなかった。「blind」も、そうやって今まで自分が考えてきたことの延長線上にある作品ですが、これが形になったのは、やはり3.11以降の社会に対する怒りや疑問、問題意識みたいなものが強かったからだと思います。別に毎回こういうものを作りたいわけではないし、「blind」を作ることで社会貢献がしたかったわけでもない。笑いも好きなので、もっとアホらしいものもやっていきたいけど、最近憤りを感じて仕方ないんです。いまだに「この水や食料は本当に大丈夫なのか?被害を受けやすい子供は本当に守られているのか?」とか考えますけど、日々膨大なものが流通している社会で生きていく上で、すべてのものに対して「果たしてこれは健康に害がないのか?」とか考えていられないですよね。だからこそ国やメディアがもっとしっかりしないといけないし、その責任があるのに、現状何もできていない。それなら個人個人が行動するしないという話なんです。

「blind」には国内外からさまざまな反応が寄せられたように思います。

そうですね。それ自体はものを作っている人間としてはうれしいのですが、今回に限ってはそんな次元のことではなく、現在進行形の話なんですよね。いまだにわからないこと、おかしなことは続いているし、この作品によって世界が変わって良かったねということじゃなくて、これは日本人が一生抱えていく問題。一方で海外では、純粋に映像作品としてのクオリティを評価してくれた人が多かったです。やっぱり対岸の火事なので、日本人がこの映像を見るのとは意味合いが全然違うし、それはそれでいいと思っています。ただ、もし仮にフランスの原発がひとつ爆発したらまったく同じ状況になるわけで、果たして人間はここから何を学べるのかなというのはあります。チェルノブイリの時も結局はみんな他人事だったということですからね。


その後にMotorolaと制作した「Social 0.0」は、「blind」からの流れを感じさせる映像ですね。

いやがおうにもそうなってしまいますよね。最初に「つながり」というテーマをもらった時に、この時代にこの国が目指す方向って何だろうということを考えて、結局それは「豊かさ」に集約されるんじゃないかなというところに行き着いたんです。それは必ずしも物質的な豊かさではないと思うんですね。生まれた時からモノがあふれていて、それを享受することが当たり前だった僕らは、それを「豊かさ」とは思わないですよね。じゃあ、経済成長があまり望めなくなってきたいま、僕らは何を「豊かさ」としてこの先を生きていくんだろうと。しかも、その「豊かさ」を保証してくれる方向に、国や社会が進んでいるかというと、そこにも疑問があるじゃないですか。自分にとって「豊かさ」とは何か? そして、それが脅かされている国でどう生きていくのか? ということを色んな人に聞いてみることで、それぞれが自分にとっての豊かさや幸せを考えて行動していくきっかけが作れたらなという思いがありました。

実際に多くの人のインタビューを取ってみていかがでしたか?

今回の仕事をすることで、自分の考えていることを整理することができましたし、それぞれ出演いただいた方々の真摯な意見を伺えたのは本当に意義ある体験だったと思います。いまはこうやって作品を作るたびに勉強をさせて頂いている感じですね。「こういう社会が最高!」といった答えなんかないと思うし、少なくとも本に載っていることや学校で学ぶことで、正解がわかるわけではない。それなら、もっと自分のフィルターを通して、良いものを追求しながら一つひとつ勉強していくことで、次に繋げていければいいんじゃないかと思っています。

最後に今後作っていきたいものなどがあれば教えて下さい。

10年後にどんな作品をやっているかは全然わかりませんが、いつか映画を作りたいんですよね。僕がそんなに見ていないだけなのかもしれないけど、いま日本でパッションがほとばしるような映画ってあまりない気がするんです。色々タブーなどもあるのだと思いますが、いつか突き抜けたものを自分で作ってみたいですね。



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